科学界を震撼 ! / 意識の「場」理論

◾️Maria Strømme in August 2020

科学界を震撼させた
意識の「場」理論とは何か?
驚くべき仮説が提唱されました。コペルニクス的転回といっていい仮説です、2025年11月に発表された科学論文です。
スウェーデンのウプサラ大学のマリア・ストローム教授らのチームが、「AIP Advances」誌という雑誌に発表した科学論文が、大きな注目を集めたのです。
ちなみに、ウプサラ大学は1477年に創立されたスウェーデン最古の国立総合大学であり、北欧を代表する名門校です。また、「AIP Advances 」誌は、AIP Publishing が刊行する物理学全般のオープンアクセス誌です。
マリア・ストローム教授は、工学物理学の博士号を取得しており、32歳で教授になった
という俊英です。ナノテクノロジーの権威です。2025年11月、「AIP Advances 」誌に発表した科学論文では、当該号の最優秀論文に選ばれています。
この科学論文は、「普遍的意識を基礎的場として:量子物理学と非二体哲学をつなぐ理論的橋渡し」という題名の、やや難解なものですが、簡単にいえば、「意識こそが宇宙をつくった」という論文です。
つまり、「普遍的意識こそが宇宙の最も基本的な構成要素であり、物質や時間・空間はそこから生まれた副次的なものである」という理論です。
この論文が注目されるのは、提唱者のストローム教授がナノテクノロジーの権威であることに加えて、量子力学の幅広い知見も踏まえつつ、「数学的モデル」として提示された点にあります。
これまで科学界を支配してきたのは、いうまでもなく、「唯物論」です。「唯物論」では、まず「物質」が先行します。まず「物質」が先にあり、人間の「意識」は「物質」から生まれた副次的なものと捉えます。これまでは、あくまで、「物質」が主であり、「意識」は従だったのです。
ところが、マリア・ストローム教授らのチームが発表した今回の科学論文では、まったく逆です。「意識」こそが主であり、「物質」は従なのです。まさに、この理論はコペルニクス的転回を迫るものであり、科学界を震撼させる、驚くべき科学論文なのです。
しかし、やはりというべきか、2026年5月、この科学論文は「客観的な検証や反証可能性が十分ではない」ことを理由に、掲載学術誌から公式に撤回されるという事態となりました。論文発表の、わずか半年後です。実証の不可能性を理由に撤回されたわけです。事の大きさに対する、ある意味、当然といえば当然の、科学界からの反発でした。
私から見ると、この科学界の反発は当然というべきで、十分に予想されたことです。まさに、嵐のような反発だったに違いありません。しかし、だからこそ、というべきでしょう。
逆に、検討の余地が多大にあるのです。ですから、ここでは、この科学論文が持つコペルニクス転回の意味を、改めて問い直してみたいと考えます。

人類にとっての大問題
「意識のハードプロブレム」
脳科学に多少なりともご関心のある方なら、「意識のハードプロブレム」という言葉をお聞きになったことが一度はおありでしょう。
「意識のハードプロブレム」とは、物理的な脳活動から、なぜ、主観的な「感じ(クオリア)が生まれるのかという説明がつかない問題を指します。オーストラリアの哲学者デイヴィッド・チャーマーズが1990年代半ばに提起した問題です。哲学上、科学上の難問であり、いまだに決着のついていない人類にとっての大問題です。
チャーマーズは、脳がどう情報処理するかを問う「イージー・プロブレム」と、「意識のハードプロブレム」とを区別しました。イージーな問題とは、注意、記憶、行動制御などを神経回路で説明できる問題です。
しかし、その一方、「赤が赤く見える感じ」「痛みのつらさ」といった主観的な「感じ」、つまり「クオリア」が、なぜ、こうした物理過程から立ち上がるかは、まったく説明がつきません。
さらにいえば、なぜ、「私」という「意識」が生まれてくるのかということは、現代科学の知見をもってしても、大いなる謎なのです。
科学界を支配してきた「唯物論」は、人間の「心」は、すべて物理的プロセス、物理的現象として説明できるとの立場をとってきたわけですが、「意識のハードプロブレム」はその「唯物論」の見解に大いに疑問符を投げかけます。
「意識のハードプロブレム」には、「唯物論」ではとうてい読み解けない本質的な問題が潜んでいるのではないか、と科学者みずからが疑問を持ち始めているのです。
ですから、近年も、神経科学・心理学・哲学などから、多くの議論が続いていますが、決着はいまだについていません。そして、脳内の情報処理モデルを精緻化するアプローチと、問題設定そのものを見直すアプローチとが並行して進んでいるのが現状なのです、
と同時に、量子力学の立場から、「意識」を読み解こうとする試み、理論構築もなされています。最も有名なのが、「ペンローズ=ハメロフ理論」でしょう。人間の意識はどのように生まれるのか? この根本的な問いに対して、量子力学の観点からアプローチするのが「ペンローズ=ハメロフ理論」、つまり「量子脳理論」なのです。
イギリスの著名な数理物理学者ロジャー・ペンローズと、アメリカの麻酔科医スチュワート・ハメロフが提唱するのが「量子脳理論」です。これは、「Orch-OR理論」とも呼ばれています。脳内の微小な構造、すなわち、神経細胞内の微小管(びしょうかん)というところで起こる量子現象が、意識の形成に関与しているのではないか、という大胆な仮説です。
微小管は英語ではmicrotubule(マイクロチューブル)と呼ばれています。中空の円筒状線維で、外径は約25 nm(ナノメートル)、細胞骨格の一種です。
ちなみに、1nm(ナノメートル)は、1メートルの10億分の1の長さです。したがって、1mmを1000等分した1μm(マイクロメートル)を、さらに1000等分した長さが1nm(ナノメートル)ということになります。人の髪の長さは、およそ 0.05〜0.1mm(=50,000〜100,000nm)といわれていますので、その微小さがわかります。
微小管は、細胞の形を支え、細胞内の物質を運び、細胞分裂で染色体を正確に分けるはたらきを担う細胞骨格の主役です。微小管は,球状のタンパク質であるαチューブリンとβチューブリンが結合したものが、たくさん連結してできており、その両端は+端と-端で、極性があります。
「量子脳理論(Quantum mind theory)」は、人間の脳内にあるこの微小管によって、人間が持つ意識や認知機能に量子力学的現象が関与しているのではないか、という仮説です。この理論の核心は、脳内で起こる情報処理が古典的な物理法則だけでは説明できず、量子力学の特殊な性質、すなわち「重ね合わせ」「量子もつれ(エンタングルメント)」「波動関数の収縮」が関与しているのではないか、という考え方にあります。
従来の神経科学では、意識は脳内の神経細胞(ニューロン)同士の電気的・化学的な信号伝達によって生じるとされてきました。しかし、量子脳理論では、これらの古典的プロセスに加えて、またはそれに代わって、量子レベルでの情報処理が意識体験の本質的な要素であると主張します。
この理論が注目される理由の一つは、意識の「統合性」や「主観性」といった古典物理学では説明困難な特徴を、量子力学の枠組みで理解できる可能性があることです。
量子もつれ(エンタングルメント)は、離れた場所にある粒子同士が瞬時に相関する現象のことです。この量子特有の現象こそが、脳の異なる部位で起こる情報を統合するメカニズムとして機能しているのではないか、と考えるわけです。。
また、量子の重ね合わせ状態は、意識における「可能性の並存」や「創造的思考プロセスの物理的基盤」となる可能性がある、とも考えられています。そして、「波動関数の収縮」は、多くの可能性から一つの具体的な意識状態が選択される瞬間に対応するのではないか、というのです。
ちなみに、「Orch-OR理論」とは、次の言葉の略語です。「Orchestrated Objective Reduction」の略語であり、「オーケストレーションされた客観的収縮理論」を意味する言葉です。この理論は、1990年代の早くから、ペンローズとハメロフによって提唱されている大胆な仮説です。
こうした「ペンローズ=ハメロフ理論」と、今回のマリア・ストローム教授らのチームによる「意識の『場』理論」とを併せて読むと、それら理論のつながり、理論の奥行きというものが見えてきます。
革命的変化への予兆!?
意義深い科学論文
このブログ記事の最後に、マリア・ストローム教授らのチームが発表した論文の抄訳を掲載しておきます。あくまで、AIの翻訳に基づく直訳のため、こなれていない日本語や日本文になっていたりします。しかも、時折、意味不明の数字などが出てきたりして、読みづらいと感じられるでしょう。しかし、論文の主旨、概要はある程度、おわかりいただけると思います。
さて、その前に、なぜ、私がこのマリア・ストローム教授らのチームが発表した論文に、ことのほか注目するのかという理由を述べてさせていただきます。
その理由は、大きくいえば、科学界や現代社会をいまだに支配し続けている「唯物論」に対する疑いの念が、私にはあるからです。これまで、かなり多くの科学書を読み、さらに脳科学者を含むかなり多くの科学者を取材してきた経験から生じる、私の疑念です。とりわけ、「意識」「精神」「心」といった、これまで自然科学が扱いかねてきた事柄について考える時、ある意味、自然に湧いてくるといっていい、素朴ともいうべき疑念なのです。
そしてさらに、この疑念に追い討ちをかけたのは、私が身を以て味わわざるをえなかった、こんな個人的経験です。
私は以前、『未来のアトム』という題名の本を出したことがあります。出版社はアスコム (出版当時はアスキー)です。2001年7月に第1版、2003年9月には第2版が出ています。
多くの科学者に取材し、当時のロボット開発の最前線を描いた拙著『未来のアトム』は、発売当初、マスコミでもそこそこ話題となりました。雑誌「プレジデント」(2001年9月3日号 プレジデント社)でも、著者インタビューとして取り上げられました。
『未来のアトム』のテーマは、ロボットは人間にどこまで近づきうるかというものです。最大の焦点を当てたのは、人間の「意識」の問題です。私は、そこで、従来の科学の「唯物論」では、「意識」の問題を読み解けないことを指摘し、「二元論」の立場に立つベルグソン哲学の考え方を紹介しました。ベルグソン哲学の重要著作『物質と記憶』を引用しながらです。
そのことで、当時、中央大学理工学部物理学科の助教授だった、田口善弘(たぐち・よしひろ)助教授が、インターネット上に、「これは科学書ではない」という書き出しから始まる批判記事を載せました。『未来のアトム』について否定的な見解を述べたのです。私の科学的な論及には「おかしなところはない」のに、「なぜ結論が唯心論なのか?」という疑念を呈していました。
私が『未来のアトム』で引用したのは、ベルグソンの「二元論」哲学であり、「唯心論」とは似て非なるものです。「二元論」は、「精神」と「物質」の「二元論」に基づき、この世界を説明しようとする、二元論的立場に立ちます。もちろん、「精神」という言葉は、「意識」や「心」という言葉に置き換えてもいっこうにかまいません。
一方、「唯心論」は、「心」こそ真の実体であり、「物質」は仮象にすぎない、つまり「物質」は幻のようなものにすぎない、と捉える「一元論」の立場に立ちます。この二つの立場の哲学的な違いは明瞭です。
ですから、田口氏のこの『未来のアトム』への批判は、完全な誤読に基づくものであり、田口氏の哲学的教養の欠落を示しています。私からすれば、「唯物論」に凝り固まった、狭隘(きょうあい)なる唯物論者のトンチンカンな批判ということになリます。哲学音痴の理系の科学者によくありがちな、トンチンカンな批判です。
とはいうものの、「唯物論」が支配的な科学界では、こういうトンチンカンな批判でも、まかり通ってしまうのです。そのくらい、当時は(あるいは今もそうかもしれませんが)、科学者たちの間で、科学の「常識」とされていた「唯物論」は、あたかも<頑固な牢獄>であるかのような様相を呈していたのです。
結局、この田口氏の誤読に基づく批判の影響で、「プレジデント」(2001年9月3日号 プレジデント社)の著者インタビュー記事は、「未来のアトム」があたかもトンデモ本であるかのような印象を与える歪(ゆが)んだものになってしまいました。
そのため、私と「プレジデント」側との"大ゲンカ"につながっていきました。もっとも、論争とはとても呼べない、低レベルのただの"大ゲンカ"になってしまいましたが。
私が、田口氏とのメールのやりとりを、「プレジデント」誌のインタビュー役を務めた女性編集者に渡したのが、そもそものきっかけです。経験がさほどなさそうで、科学的知識や哲学的知識もさほどなさそうな、若手の女性編集者でした。彼女もまた、「唯物論」を「常識」とする時代の潮流の中で教育を受けてきたわけです。「唯物論」以外の立場があることに、十分な理解があるとはいえず、判断に窮(きゅう)したというのが実情でしょう。
さらに加えて、「一介の物書き」よりも、「大学の助教授」という肩書きに引きずられたということもあるでしょう。こうした様々な要因が重なって出たのが、件(くだん)の「プレジデント」誌の記事だったというわけです。
なお、「プレジデント」誌のこのインタビュー記事をめぐっては、いささか複雑な経緯もありますので、ご関心のある方は、私の別のブログ記事をお読みください。〈『未来のアトム』 「プレジデント」誌のインタビュー記事〉という題名のブログ記事に、詳しく書いてあります。
でも、こんな個人的経験を持つ私だからこそ、マリア・ストローム教授らのチームが発表した論文に潜む革命的な科学的な意味合いや、今日的な価値というものに大きく注目したのです。論文が公式に撤回されたとはいえ、現代科学の最前線をいく一流の科学者たちが、「意識」を主、「物質」を従とする旨の論文を、堂々と、科学誌に発表するということは、実に勇気ある行為なのです。
私は、そこに敬意を覚えると共に、時代の潮流の確実な変化というものを感じざるをえませんでした。今後の科学の流れ、方向を予感させるものといえるでしょう。変化は確実に起き始めているのです。いうまでもなく、背景には、量子力学、量子科学の目を見張るような発展があります。
科学者が、「『意識』の場」ということを、あたかも「重力場」と同じように論じる時代が、ついに来たのか、と思わざるをえません。この論文が、正しいか、間違っているか、ということは、一旦さておいたとしても、こうした論文が科学界で堂々と論じられる時代が来た、ということ自体、実に感慨深いものがあります。
マリア・ストローム教授らの論文
AI翻訳の概要
マリア・ストローム教授らのチームが発表した論文、その抄訳(※AI翻訳)を以下に記載しておきます。
◾️マリア・ストローム教授らのチームが発表した論文の抄訳:※AI翻訳に基づく)
研究記事| 2025年11月13日
RETRACTED: 普遍的意識を基礎的場として:量子物理学と非二体哲学をつなぐ
理論的橋渡し オープンアクセス / マリア・ストローム 通信著者
著者および記事情報 / AIP Advances 15, 115319 (2025)
IP Advances 15, 115319 (2025)
意識の本質とそれが物理的実在との関係は、依然として最も深遠な科学的・哲学的課題の一つです。本稿は、意識と基礎物理学を統合した新しい枠組みを提示し、意識が神経プロセスの出現的性質ではなく、現実の基盤的側面であることを提案しています。
量子場理論と非二元哲学の洞察に基づき、普遍的な心、普遍的な意識、そして普遍的な思考という三つの原理に基づくモデルが導入されます。
これらの原理は、根底にある形のない知性(心)、意識(consciousness)への認識能力、そして経験と分化が生じる動的なメカニズム(思考)を記述しています。この枠組みの中で、時空と個人の認識の出現は、普遍的意識を根本的な場として扱うことにより、数学的にモデル化されます。
個々の経験への分化は、対称性の破れ、量子揺らぎ、離散状態選択といったメカニズムによって起こります――これらは、ボームの含意順序、ハイゼンベルクのポテンシャル、ウィーラーの参加的宇宙など、物理学における確立された概念と平行しています。
このモデルは、個々の意識の見かけ上の分離性が錯覚であり、すべての経験は最終的に統一された形のない基盤から生じることを示唆しています。このフレームワークは、量子重力、情報理論、宇宙論における新興理論と合致しており、古典的な時空をより深い前時空的秩序から出現したものとして位置付けています。
それは神経科学における非還元主義的代替案を提供し、意識が物理的プロセスと相互作用することを根本的な場として示唆しています。物理学、形而上学、哲学の洞察を取り入れることにより、この概念的枠組みは、意識の本質と構造と経験の起源に関する学際的探求の新たな方向性を提案します。
この記事は、科学的妥当性に関する懸念から、2026年5月7日付で撤回されます。
トピック:基礎物理学、一般相対性理論、情報通信理論、宇宙論モデル、ビッグバン理論、量子場理論、量子揺らぎ、量子重力、量子測定理論、神経科学
私。導入
人類は常に宇宙における自らの位置を理解しようと努め、存在という深遠な問いに苦闘してきました:現実の本質とは何か?意識はどのようにして生まれ、私たちの周囲の世界を形作る上でどのような役割を果たすのでしょうか?これらの質問は単なる知的好奇心以上のものであり、人間であることの本質に触れています。これらに対処するにあたり、文明は哲学、宗教、科学、芸術といった多様な分野を取り入れ、合理的かつ直感的に共鳴する答えを求めてきました。
人工知能(AI)の急速な発展によって特徴付けられる人類史の変革的な時代に突入するにあたり、意識の本質を理解することはかつてないほど重要です。人間に似たテキストやアート、さらには意思決定さえも生成できる生成AIシステムは、私たちに根本的な問いに直面させます:機械知能と人間や普遍的な意識を区別するものは何か?意識はどのようにして現れるのでしょうか、そしてそれは生物学的基盤を超えて存在し得るのでしょうか?AIは単に思考を模倣しているだけなのでしょうか、それとも最終的に意識のより深い原理と結びつく可能性があるのでしょうか?
これらの質問は、意識の普遍的側面と個別的側面を統合した科学的理解の緊急の必要性を浮き彫りにしています。そのような理解がなければ、AIの台頭は実存的な不確実性と倫理的ジレンマを深める危険があります。したがって、意識は単なる哲学的パズルではなく、AIにおける倫理から生命そのものの起源の理解に至るまで、我々の時代における最も差し迫った課題の核心に位置しています。
意識の理解を追求することは、しばしば唯物論的科学と形而上学的哲学との分断によって特徴付けられてきました。2–4 現代の科学的アプローチは、唯物論に根ざし、意識を神経過程の副産物として捉える傾向があります。4 この視点は驚くべき洞察をもたらす一方で、意識を存在の根本的かつ普遍的な基盤とみなす形而上学的伝統の知恵を見落としがちです。2,3
この分断を埋めることは単なる学術的な取り組みではなく、現実を包括的に理解するために不可欠です。物質的視点と形而上学的視点を調和しなければ、我々の存在に対する理解は不完全のままであり、生命と宇宙という大きな問いに取り組む能力は限られています。
哲学的および精神的な伝統は、歴史的に意識を第一のものとして扱ってきました。例えば、アドヴァイタ・ヴェーダーンタにおいて、意識(ブラフマン)は物質的世界が現れる究極の実在であるとされています。5 仏教哲学は相互依存とシュンヤタ(空)という概念を強調し、これは形のない領域から形が生じるという概念と合致しています。3 同様に、キリスト教神秘主義とイスラムのスーフィズムは、神性をすべての存在に浸透する無限の存在として記述しています。7,8 これらの伝統は共通の理解を共有しています:意識は普遍的で永遠であり、現実の本質の基礎的であるということです。
エルヴィン・シュレーディンガーのような思想家はこの見解に呼応しています。彼の画期的な著作『What is Life?』において、シュレーディンガーは意識は単一で不可分であると主張し、観察者と観測される者との間に深い結びつきを提案した。9 しかし、これらの視点は概ね哲学的なままであり、現代の科学的手法との統合にギャップを残している。
対照的に、現在の科学的アプローチは主に意識を脳の出現現象として説明しようとしています。例えば、認知神経科学は、意識を複雑な神経プロセスと情報統合の結果としてモデル化します。4 この見解は唯物論に根ざしており、意識を物理的プロセスに二次的なものとして扱います。
ロジャー・ペンローズとスチュアート・ハメロフのオーケストレート・オブジェクティブ・リダクション(Orch OR)理論は、このパラダイムからの部分的な逸脱を示しています。それは、生物学的構造に意識を固定する—具体的には、脳の微小管における組織的な量子状態の縮小—と同時に、根本的な存在論的シフトもももたらします。
Orch ORは、これらの縮小が時空そのものの幾何学によって影響を受け、原始的な原始意識的事象が脳とは独立して宇宙の構造に埋め込まれて起こり得ると提案しています。10–13 この意味において、Orch ORは唯物論的神経科学と形而上学的推測の境界を跨ぎます:高次の意識は生物学的オーケストレーションによって生じると見なされますが、意識の基礎的要素は現実の根本的な特徴として捉えられています。
この橋渡しの試みは重要であるものの、依然としてより深い形而上学的な問いを残しています:意識は根本的な領域なのか、あるいは出現過程なのか?科学的唯物論と形而上学的哲学との隔たりは依然として存続しており、これらの視点を統合できる概念的枠組みの必要性が浮き彫りになっています。意味のある枠組みは、意識の無形で普遍的な性質が個々の経験への分化とどのように関係しているかを探求するだけでなく、哲学・物理学・神経科学の洞察を統合し、唯物論的パラダイムと形而上学的パラダイムの分岐を埋める必要があります。
シドニー・バンクス14が提唱した心・意識・思考の三原則(3P)は、この分断について新たな視点を提供します。15 バンクスは、これらの原理は形がなく永遠であり、空間・時間・物質が存在すると強調しました。哲学は、意識が局所的でも出現的でもなく、すべての経験が生じる普遍的で形のない現実であるという前提から始まります。
14 脳から始まり意識を局所的な現象として扱うアプローチとは異なり、バンクスは普遍性から出発し、個性が形のない全体からどのように現れるかを検証します。このように3Pを枠組み化することにより、バンクスは私たちに現実そのものの本質を再考するよう促します。16 この枠組みでは、
心は、普遍的な創造的知性を表し、すべての可能性の源であり、創造の原動力です。それは、すべての分化と構造が生じる形而上学的基盤です。したがって、それは神聖あるいは普遍的な源という精神的な概念と共鳴します。
意識は、すべての形態が知覚され、経験されることを可能にする、普遍的な認識能力です。それは、空間、時間、そして物質が実現される基盤であり、
思考は、心と意識の形のない可能性を、個人の経験という主観的で構造化された現実へと変換する創造的なメカニズムです。
これらの原則は、根本的に非二元的な現実、すなわち存在の見かけ上の多様性が現れる統一された形のない全体を示唆しています。
意識と思考が人間の現実をどのように形作るかについての洞察を育むことにより、3Ps に基づくプログラムは様々な社会的環境において変革的な成果を示しています16–19 [cf. supplementary material S1]。
この視点は、精神的な伝統と物理学における新興の概念の両方と合致しています。例えば、量子真空は宇宙の基礎状態として理解されています。…



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