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『未来のアトム』 「プレジデント」誌のインタビュー記事

  • 執筆者の写真: Nobukazu Tajika
    Nobukazu Tajika
  • 2024年6月23日
  • 読了時間: 53分

更新日:1月30日



“ 出合い頭の事故 ”

「プレジデント」誌の記事


 拙著『未来のアトム』(アスコム / 出版当時はアスキー)が刊行されたのは、2001年7月です。手元にある拙著の奥付けを見ますと、2001年7月11日第1版、2003年9月1日第2版とあります。

 『未来のアトム』は、600ページを越える大著です。400字詰め原稿用紙に換算すれば1600枚に及びます。企画から脱稿まで、丸2年を要しました。取材させていただいた科学者の人たちの数は、28人にのぼります。

 大著だということもあってか、『未来のアトム』は、刊行後、そこそこ話題となりました。雑誌「実業の日本」(2001年9月号)では、当時「TBS」のアナウンサーだった小島慶子さんが連載という形で持っておられたインタビューコーナー、「この人にブックマーク」というインタビューコーナーに出させていただきましたし、小島慶子さんはご自身のラジオ番組でも、『未来のアトム』のことや私のことなどを、お話ししてくださったようです。また、『未来のアトム』の著者として、私は「BS朝日」のテレビ番組にも出演させていただきました。

『未来のアトム』は、「週刊文春」(2001年10月25日号)の「文春図書館」というコーナーでも取り上げられましたし、アスキーの雑誌でも取り上げられました。新聞書評も複数出て、科学者の書評も出ました。特に、私が嬉しく感じ、勇気づけられもしたのは、カフカの翻訳などでも知られる、有名なドイツ文学者の池内紀(いけうち・おさむ)さんの「著者が全力投球した、優れた本だ」という新聞書評でした。

 さて、問題となったのは、雑誌「プレジデント」(2001年9月3日号 プレジデント社)のインタビュー記事です。『未来のアトム』の著者インタビューという形で、私へのインタビュー記事を掲載しました。「本の時間」というコーナーの記事です。「科学書であるかないかは重要ではない」と銘打ったタイトルの、私の写真入りの1ページの記事です。

 これは、いうなれば、“ 出合い頭の事故 ” のような記事です。のちに、私が謝罪と訂正を求めたものの、「プレジデント」誌側がこれを受け入れませんでした。結局、“ 言い争い ”

“ 大喧嘩 ” というだけの、お粗末な事態になってしまいました。

 低次元の“ 言い争い ” 、どころか、“ 大喧嘩 ” に終わってしまった「プレジデント」誌の記事ですが、その背景には、やはり「唯物論」の問題がありました。

「唯物論」を前提とする現代科学、唯物論以外の立場を認めようとしない現代科学の頑(かたく)なな姿勢というものが、そこにはありました。そしてまた、“ 哲学音痴(おんち)” で、“ 狭隘(きょうあい)なる唯物論者 ” の科学者の問題ということが背景にありました。

 加えて、インタビュアーの科学知識、哲学知識、記事づくりに関するスキルなどが、いかほどのものだったかという問題や、マスコミの自浄能力という問題もありました。はからずも、そうしたことなどが重なり、問題を浮き彫りにしたインタビュー記事になっていた、と思います。

 この経緯については、以下に詳述します。読者の方々のご判断を仰ぎたいと思います。


「唯物論」「二元論」「唯心論」

 それぞれの違い


「プレジデント」誌のインタビュー記事をめぐっての、私と「プレジデント」誌側との “ 言い争い ” 、“ 大喧嘩 ” については、なぜこうした事態が起きてしまったのか? それについて、ご理解いただくためには、やはり、“ 前提としての知識 ” が必要だと思います。

 ですので、インタビュー記事の経緯について、詳しくご説明する前に、その “ 前提としての知識 ” ということについて、先ず、述べさせていただきたいと思います。

 哲学的立場には、大きくいって、3つあります。「唯物論」「二元論」「唯心論」の3つの立場です。もちろん、このほかに、「唯識論」というものもあります。ですから、「唯識論」も含めるとなると、哲学的立場には4つあるということになります。

 しかし、「唯心論」と「唯識論」は、心を主体に考えるという点では似たところがあるので、ここではわかりやすく、先ずは、「唯物論」「二元論」「唯心論」の3つについて、ご説明していきたいと思います。

 1つめは、「唯物論」の「思想」です。あえて、「思想」と呼ばせていただきます。実は、多くの人たちが誤解していることなのですが、「唯物論」というのは、事実や事実認識を示す言葉などではけっしてなく、あくまで、「思想」なのです。「思想」に過ぎない、という言い方もできます。そのことを、先ず、念頭に置いていただければと思います。

 とはいえ、何といっても、「唯物論」は、現代の科学界、現代の科学者たちを支配する、現代社会の支配的な「思想」です。それは事実です。

「唯物論」は、前提として、物質がすべてである、と考えます。それゆえ、「魂」などというものはそもそもない、と考えるわけです。人間が「魂」と呼んでいるもの、つまり、人間の「意識(精神)」なるものは、脳という物質、脳のメカニズムが生んだ副産物に過ぎず、肉体が滅びればすべて終わり、「魂」などというものは幻想に過ぎない、という考え方です。

 2つめは、「二元論」の思想です。精神と物質は、そもそもは別のものである。しかし、精神が精神として現れるためには物質を必要とし、物質が物質として現れるためには、つまり、物質が物質として認知されるためには精神を必要とする、精神と物質は相互作用する、精神と物質は相互補完的な関係にある、という思想です。私の他のブログ記事などで何度も言及してきましたフランスの哲学者ベルグソンや、小林秀雄氏などは「二元論者」です。

「二元論」は、ただの観念論である、といって簡単に済ますわけにはいきません。現代科学の知見からも、そういえると思います。現代科学の知見、とりわけ、現代の量子力学に見られる、観測者と量子(粒子)との相互作用、相互補完的な関係を見れば、このことは、よくわかるのではないでしょうか。

 観測という行為、つまり、人間の意識(精神)が、そこに加わると、観測される側の量子(粒子)の状態が変化してしまいます。客観的な物がそこにある、という言い方が、もはやできなくなってしまうのです。主観、客観、という言い方も、実に曖昧(あいまい)で、よくわからない、ということになってしまいます。

 物質とは何か? 物質を分析していけば、それは、つまるところ、量子(粒子)の集団ということになるでしょう。私たちは、量子(粒子)の集団であるところの物質が、私たちに関係なく、客観的に存在していると思いがちですが、現代の量子力学が示しているのは、そうではない、という事実です。「二元論」は、哲学的な観念論に過ぎない、などと単純に結論づけることはできません。

 意識(精神)と物質が、相互作用し、相互補完的な関係にある、という事実は、あたかも、意識的な実在(精神の実在)と、物質的な実在、その両方の実在が、「在る」かのごとくです。その両方の実在が、クロスするような印象を与えます。

 現代の量子力学が示している世界、つまり最先端の「物理学的世界」と、哲学でいうところの「二元論」の世界は、どこか通じ合うものがある——そういう気すらしてきます。

 3つめは、「唯心論」の思想です。「意識」というか、「精神」というか、あるいは、「魂」というか、いずれにしろ、それがすべてのもとであって、物質は仮象に過ぎない、世界も仮象に過ぎない、と考えます。肉体が滅んでも「魂」は残る、というのが「唯心論」の考え方です。

「唯心論」というのは、概(おおむ)ね、宗教の立場、宗教家の立場にある——ありがちな思想である、といっていいと思います。例えば、キリスト教がそうでしょう。敬虔(けいけん)なクリスチャンの人たちは、「霊魂不滅」ということや、「死後の世界」を、信じておられると思います。信仰されていると思います。人間の真の実体は、「魂」だと考えるわけです。

 ちなみに、「唯識論」についても、一応、説明しておきます。「唯識論」では、あらゆる存在や事象は、心の本体である「識」の作用によって生じた仮の姿にほかならない、と考えます。「唯心論」が「意識」の領域に比重を置いているのに比べ、「唯識論」は「無意識」の領域に比重を置いています。そこが、「唯心論」と「唯識論」の違いである、という言い方もできるかもしれません。この「唯識論」は、大乗仏教の根幹を成す思想です。


 「批判」を試みた

  拙著『未来のアトム』


 拙著『未来のアトム』は、ロボット工学、ロボット・サイエンスの最前線を走る科学者の方々への取材をもとに、「鉄腕アトム」のようなヒューマノイド型ロボットは実現するか、というテーマから始まりました。

 すると、当然というべきか、勢い、私は人間という「謎」に誘い込まれていきました。人間とは何か、という古来から考えられてきて、いまだに決着のつかない、また、つきようもない「謎」に誘い込まれていったのです。「感覚」「知覚」「意識」、そして「精神」や「心」、はたまた「魂」とは何か、という人間にとって、永遠といっていい「謎」です。

 私が『未来のアトム』で試みたのは、クリティック、すなわち「批判」です。カントが、その主著『純粋理性批判』でやったような、「批判」をやってみたいと思いました。

 カントは『純粋理性批判』で、人間の「理性」というものを、深く、鋭く、考察しました。人間の「理性」はどこまで達しえるものなのか、また逆に、達しえないものなのか?

カントは、人間の「理性」の可能性と不可能性、その境界を明らかにしようとしたのです。

そして、人間の「理性」は、残念ながら、「物自体」には達しえない、という結論に導かれました。これが、カントが試みたクリティック、すなわち「批判」です。

 私は、もちろん、カントに及びようもありませんが、ロボットを造るという現代科学、現代工学の先端の現場で、私は私なりに、カント的なクリティック、すなわち「批判」を展開してみたいと思ったのです。

 さて、そこで、私が『未来のアトム』で論じたのは、「唯物論の科学」と「ベルグソンの二元論哲学」です。山登りにたとえるなら、ロボットというものを題材に、先ず「唯物論の科学」のほうのルートから山を登り、次に「ベルグソンの二元論哲学」のほうのルートから山を登る、という試みです。同じ山でも、登り方は、複数あります。

 私自身は、「唯物論者」でも「二元論者」でもありません。「唯物論」が正しいのか、「二元論」が正しいのか、どちらが正しいのかは、あくまで、わからないという立場です。今のところは、そういう立場です。

 ですから、私は両者の立場から論じています。ただし、先に触れた量子力学が突きつける事実からも推察されるように、私はすべてを、単純な「唯物論」で押し切ろうとすることには、はなはだ懸念(けねん)を持っています。現代の科学的な知見を交えても、ムリなのではではないか、と思うのです。

 それは、「脳科学」が直面し、また、これからも直面せざるをない問題にも通じることだと思います。人間の「意識(精神)」を、脳という物質から、いくら解明しようとしても解明し切れない、本質的な問題がそこにはあるように思います。換言すれば、それは、「脳科学の限界」ということにも通じる深刻な問題である、ともいえます。

 そうした私の考え、私の立場については、拙著『未来のアトム』の中で明らかにしておきましたし、今でも、その私の考え、私の立場に変わりはありません。


 インタビュー当時は

 「書評」など一切ない頃


 さて、「プレジデント」誌のインタビュー記事のほうに話を戻したいと思います。「プレジデント」誌側からインタビューの依頼がきたのは、2001年7月に『未来のアトム』が刊行されて間もない頃でした。刊行後、1ヶ月経ったか、経たないかくらいの頃です。先にご紹介しました書評などが、一切、まだ出ていない頃です。書評に関しては、まっさらな状態といえる時期でした。

 インタビューを申し込んできたのは、「プレジデント」誌の若い女性編集者でした。見たところ、20代後半か30代前半のようでした。もっとも、女性の年齢は見た目とは違うということがよくありますので、本当の年齢はよくわかりませんが。彼女は拙著『未来のアトム』の版元であるアスコム(当時はアスキー)の編集の責任者の人とは知り合いで、同じ大学の後輩とのことでした。私はインタビューに応じました。

 インタビューを求めてきた、その女性編集者は『未来のアトム』をよく読んでくれていたようで、彼女の手元にある拙著には、たくさんの付箋(ふせん)が付いていました。彼女は話ぶりからすると、こうしたインタビュー、取材の経験はあまりなさそうで、内向的、内気な感じでした。

 しかし、時折、口を突いて出る「私が、私が」という言い方に、プライドの高さや自己主張の強さといったものが滲(にじ)んでいました。私は「おや?」と思い、内心、多少の違和感のようなものを感じましたが、それは、マスコミ関係者にありがちなものであり、また彼女にとってみれば、自分の経験の少なさをカバーするための一つの方便のようなものかなという気もしました。

 インタビュー自体は熱心でした。質疑応答も進みました。こちらの言い分も、それなりに理解してくれたものと思いました。それで、つい安心したというか、油断したというか、「インタビュー記事を書く際の資料にしてもらえば」といって、彼女に資料を渡しました。そして、さらに、こうもいいました。「言論統制をするつもりはないので、あなたが思うところを書いてください。下書き原稿は事前に見せなくてもいいですから」、と。

 事前に、取材先に下書き原稿を見せる、見せない、ということをめぐる問題は、「言論の自由」を建前とする出版界のインタビューの現場、取材の現場ではよくあることです。そのことは、私もしばしば経験してきました。私が彼女にそういったのは、こうした問題がしばしば起こることを私自身がよく知っていたから、ということもあります。

 しかし、あとで起こったことを振り返って、考えてみれば、こうした “ 信頼 ” こそが間違いのもと、原因のもとになりました。彼女に与えた課題が、「 重過ぎた 」「大き過ぎた 」ともいえます。


 物理学助教授とのメールのやりとり

 渡辺慧氏、湯川秀樹氏の見解


 彼女に渡した資料というのは、当時、中央大学理工学部物理学科の助教授だった、田口善弘(たぐち・よしひろ)助教授と、私との、メールのやりとりを記載したものです。そのコピーです。けっこう、長文のやりとりでした 

 プロフィールによると、田口助教授は、東京工業大学(東工大)大学院理工学研究科で物理学を専攻したとのことでした。ちなみに、2007年の法改正で、「助教授」は「准教授」という肩書きに改正されましたが、当時は助教授という肩書きでした。

『未来のアトム』刊行直後、私が「未来のアトム』というキーワードで見つけたインターネット上の記事に、その助教授の記事があったのです。

 助教授は『未来のアトム』についての批判記事を載せていました。「これは科学書ではない」という書き出しから始まる批判記事です。『未来のアトム』について否定的でした。私の科学的な論及には「おかしなところはない」のに、「なぜ結論が唯心論なのか?」という疑念を呈していました。

 助教授が『未来のアトム』に対して否定的だったのは、私が『未来のアトム』の中でベルグソンの「二元論哲学」を紹介し、「唯物論」とは違う見方がある、「唯物論」では読み解けないものがある、ということに言及したからです。

 現代の科学界や、現代の科学者たちの間では、「唯物論」が主流であり、支配的であるということは、もちろん、私も承知しています。しかし、科学者たちの中には、もちろん、「二元論者」もいます。

「時間論」の名著と言われる本に『時』(河出書房新社 1974年初版発行)という本があります。何度も増刷を繰り返している本です。著者は渡辺慧(わたなべ・さとし)氏です。渡辺慧氏は、東京大学理学部物理学科を卒業し、理化学研究所員、東京大学工学部助教授、立教大学理学部教授、さらにはイェール大学教授、ハワイ大学教授などを務められたという華々しい経歴の持ち主です。

 渡辺慧氏は、「不確定性原理」の発見などで有名なハイゼンベルグの下で、原子核理論の研鑽(けんさん)を積まれたり、量子論の育ての親として有名なボーアのもとにしばらく滞在されたりしたこともあります。

 渡辺慧氏の著書『時』は、ベルグソンの時間論を基軸に展開されています。当然、ベルグソンの「二元論哲学」も視野に入っています。件(くだん)の物理学の助教授は、このことを知っているのでしょうか? 知らないとしたら、勉強不足というものです。

 なお、この渡辺慧氏に関しては、日本人初のノーベル賞を受賞された理論物理学者・湯川秀樹氏も、こんな発言をされています。小林秀雄氏と湯川秀樹氏との対談「人間の進歩について」(『小林秀雄全集 別巻𝙸』 「人間の建設」新潮社刊)からの引用です。

 小林秀雄氏は、湯川秀樹氏に、先ず、こう持論を述べられます。

「ぼくは二元論者です。精神というものはいつも物性の制約と戦っていなければいけない。」

 そう述べられた上、小林秀雄氏は湯川秀樹氏に問いかけられます。

「渡辺慧さんの論文(「量子力学に於ける時間とベルグソンの純粋持続」、「サンス」第二号)を偶然読んで大変面白かった。(中略) あれは今の問題に関する一つの解決を提供しているように思えました。

 つまり精神性と物性を一応区別しての立場から実験、行為というようなものでこの二つが繋がりのある途を見つけようという考え方じゃないのですか。あの人の考え方は−−−−。」

 この小林秀雄氏の問いに対して、湯川秀樹氏は、こう答えておられます。

「大体そうですね。先ほどから申しますように大体現在のところ、私は二元論的な立場なのです。どういう言葉を使ったらいいかわかりませんけれども、それは精神というか、人間というか、そういうものから理解していくのと、自然法則の根本から理解していくという、その両方の行き方がなければ物事を了解することはできないと思います。

 その点は同じですけれども、ただ渡辺さんが両方のものをどうして繋ごうとしておられるのか、私が繋ごうとしているのと少し違うと思います。」

 湯川秀樹氏は、さらにこう続けられます。

「渡辺君の立場は量子論などをやっておられる多くの人たちの考えと少し違う。そういう明瞭な二元論は少ない。むしろ一元的な立場の方が多い。私は二元論でなくちゃいけないと思いますが、その二元論の入れ方をもっと普通の一元論に近いものにできないかと思うのです。そこだけの違いで、やはり二元論でなくてはどうにもならないような気がする。」

 湯川秀樹氏ほど著名な理論物理学者が、「二元論でなくてはどうにもならないような気がする」と述べておられる意味合いは、実に、重要です。唯物論というものに、少しの疑いも持たない現代の科学者たちは、湯川秀樹氏のこの発言に対して、どう「反論」するのでしょうか? 

 私は、科学者たちへもいろいろ取材した経験がありますが、私自身は、これまで、科学者たちから、まともな「反論」を聞いたことがありません。

 湯川秀樹氏は、さらに、こうも述べておられます。

「だから、法則ということになれば一種の信仰に近いものになります。法則があるとしても、その法則は有限のものでは実証されない。しかもここに有限のものしか与えられないとすれば、それ以上は法則を信ずるほかないわけです。無限回の出来事があるとしなければ、それは完全な実証にならない。ただ近似的なことしか言えない。そばまで行って横へそれる場合まで考えれば、話はまた変ってくるわけです。

 だから科学というものは結局最後には法則に対する信仰ということになるわけですね。ほかの宗教とか、いろいろなものは信仰するものだけが違う話で−−−−ですから法則というものを通って神様を信ずることもできるでしょうし、いろんな信じ方があるでしょう。科学というものは事実を通じて法則を信ずるのですが、更にそれを通じて何か別のものを信ずるかどうかはまた別の問題です。」

 湯川秀樹氏の発言は、科学というものを深く探究されてきた、科学者としての誠実な発言であり、私たちは、虚心坦懐(きょしんたんかい)に耳を傾けるべきでしょう。

 なお、小林秀雄氏と湯川秀樹氏との対談「人間の進歩について」については、私は、私の別のブログ記事「『唯物論』について」の中で、さらに詳しく紹介しておりますので、ご関心のある方は、そのブログ記事もお読みいただけましたなら幸いです。

 また、私は、『未来のアトム』の中で、イギリスの著名な数理物理学者であるロジャー・ペンローズ(1931年生まれ)のことも紹介しています。ペンローズは、自他共に認めるプラトニスト(プラトン主義者)です。ちなみに、ペンローズは2020年にノーベル物理学賞を受賞しています。

 古代ギリシャの哲学者プラトンは、「魂(心)」は実在し、肉体は魂を閉じ込めている牢獄にほかならないとみなしました。死とは、「魂(心)」が肉体という牢獄から解放されることである、と考えました。

 世界的に著名な数理物理学者であるペンローズは、「物質から精神が生じるという考え方には根本的な疑問があると私は思う」と述べています。そして、ペンローズは、量子力学とアインシュタインの一般相対性理論を統一した「量子重力理論」を構築することによって、「意識」の発生の謎に迫ろうとしているのです。

 ちなみに、アルベルト・アインシュタイン(1879年〜1955年)は、いうまでもなく、著名なドイツの理論物理学者です。「特殊相対性理論」や「一般相対性理論」で知られ、その名はあまりに有名です。

 ペンローズの天才的な知的試みは、単純な「唯物論」ではとても読み解けないものです。従来の「唯物論」の枠組みを超えなければ、理解できません。


「二元論」を「唯心論」と誤読した

 物理学の助教授


 ちなみに、量子力学とアインシュタインの一般相対性理論は、相性が悪く、理論的な整合性がついていません。そして、現代科学は、その両理論の統一に成功していません。両理論の統一こそが、現代科学の最重要課題の一つといえます。

 量子科学は、現代科学の最先端をいく学問ですが、量子力学によると、量子、つまり粒子というミクロな世界では、観測という人間的な行為が加わると、つまり、人間の意識がそこに加わると、粒子の状態が変化してしまいます。

 粒子の位置と速度を同時に決めることは不可能となり、粒子がそこに存在するということを、もはや確率論的にしかいえなくなります。ドイツの理論物理学者であるヴェルナー・ハイゼンベルク(1901年〜1976年)が述べた、有名な「不確定性原理」です。

 量子力学では、「量子もつれ」という謎めいた現象が起きることも知られています。「量子もつれ」というのは、粒子同士に強い結びつきができる現象のことです。

 一旦(いったん)、2つの粒子に「量子もつれ」の関係ができると、なぜか、互いのことが、瞬時にわかってしまうのです。どんなに遠く離れていても——仮に、何万光年離れていようとも、片方の粒子が変化すると、それに応じて、もう片方の粒子が瞬時に変化します。

 瞬時に、情報が伝わるのです。まさに、以心伝心(いしんでんしん)、テレパシーのような現象です。なぜ、こうした現象が起きるのか? それは現代科学にとっても大きな「謎」です。

 ペンローズの目を見張るような知的試みや、量子力学から得られる知見には、私には、どこか、「二元論」とも通じるところがあるような気がします。

 物理学の助教授の主張には、2つの間違いがあります。1つは、私が “ 結論 ” を出している、という主張です。「唯心論が正しい」という “ 結論 ” だそうです。ところが、実際には、私は “ 結論 ” など出していません。私は『未来のアトム』の中で、「唯物論の科学」と「ベルグソンの二元論哲学」を論じました。

 その2つの立場について言及しましたが、どちらの立場が正しいのかわからない、というのが私の立場です。そのことを、私は『未来のアトム』の中で、はっきりと何度も書いています。“ 結論 ” は出さず、判断はあくまで読者にゆだねる、という立場を取っています。

 助教授の2つめの間違いは、「唯心論」と「二元論」の混同です。哲学的混同です。私が『未来のアトム』の中で言及したのは、ベルグソンの「二元論哲学」であり、「唯心論」ではありません。

 にもかかわらず、助教授は「なぜ結論が『唯心論』なのか?」という疑念を呈していますが、そもそも、その問い自体が間違いです。私が主張していないことを、主張しているかのように主張する。悪意でなければ、ただの無知です。哲学に関する無知そのものです。

「唯心論」と「二元論」は、似て非なるもです。まったく異なる哲学的立場です。ベルグソンも、そのことを著作の中で、はっきりと述べています。しかしながら、当時から、「唯心論」と「二元論」の混同、誤読は避けがたかったようです。誤読に基づく、あらぬ誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)をベルグソン自身が浴びています。

「唯物論」は物質がすべてである、という「一元論」の立場です。「二元論」では、精神と物質は、本来、別のものであるけれども、精神と物質の関係は相互補完的である、と捉えます。互いが互いを必要としており、単独には、現実世界に現れません。「二元論」の立場からいえば、「脳」と「意識」の関係、「脳」と「精神」の関係、「脳」と「心」の関係、さらに大きく捉えれば、「肉体」と「魂」の関係、などがそうだということになります。

 物理学の助教授の立場は、はっきりしています。助教授は「唯物論者」です。私にいわせば、“ 単純な唯物論者 ” であり、“ 狭隘(きょうあい)なる唯物論者 ” である、ということになります。現代の科学界によくありがちな科学者、その典型といえるような人物です。助教授からすれば、「二元論」に言及しただけでアウト、科学界から追放されてしかるべき、ということになるのでしょう。

 私は助教授にすぐメールを送り、「私は唯心論者ではありません」と自身の立場を述べた上で、誤解にもとづく記事の再考を促しました。しかし、助教授はまったく受け入れませんでした。「再考など論外、あなたの主張は科学界では受け入れられない。誰もまじめに相手にしないだろう」という否定的な意見を述べるばかりでした。

 助教授とのメールのやりとりで途中でわかったことですが、その助教授は、私が「ワイアード」(同朋社出版)という雑誌で連載していた「サイエンス・オデッセイ」という題名の科学者へのインタビュー記事を、ずっと読んでいたそうです。だからこそ、多くの科学者へのインタビューにもとづく『未来のアトム』を読んで、なんだか裏切られたような思いを抱いたのでしょう。

 助教授の哲学的無知はさておいても、助教授にしてみれば、「唯心論」と「二元論」の区別などどうでもいい、そんな区別に自分は興味はない、自分は「唯物論」しか認めない、ということになります。 “ 唯物論独裁宣言 ” のようなものです。

 私からすれば、助教授の哲学的無知は明らかですが、「唯物論」が支配的な科学界、科学者の反応とは、概(おおむ)ね、こういうものかとも思いました。典型的なアレルギー反応のようなものか、と思いました。


 捨てゼリフを拾った

 「プレジデント」誌の記事


「プレジデント」誌に話を戻します。インタビュアーの女性編集者には、「下書き原稿は事前に見せなくてもいいですから」といっておいたにもかかわらず、彼女は不安にかられたのか、事前に、下書き段階の原稿をFAXで私のもとへ送ってきました。FAXの送り状には、「これで行きたいんですが」という、彼女の意向ともいうべき文言が添えられていました。

 一読して、明らかでした。彼女に渡した物理学の助教授とのメールのやりとりをもとに書かれた記事である、ということがわかりました。1ページの記事の中ほどには、こう書かれていました。

「人間の意識や心というヒューマノイドが目指す最終地点と、科学があえて踏み込まなかった領域は一致している。しかし、それをこれほど正面から結びつけて論じた書はいままでになかった。この結びつけ方はアクロバット的であり、科学者のサークルからは『異端』だと、まじめに相手にされない。」

 特に、「まじめに相手にされない。」という記事のくだりは、助教授のメールにあった一文の完全な引き写しです。いってみれば、助教授の捨てゼリフに過ぎません。

 あくまで、メールの中の一文。私的なやりとりの中での捨てゼリフ、暴言といっていいようなセリフです。まともな「書評」といえるような一文ではありません。その助教授のメールの捨てゼリフを拾ってきて、それをそのまま引き写し、確認作業、裏づけ作業も、なんら行わないまま、彼女は、それを、自分の “ 地の文 ” として書いてしまっているのです。デスクワークとパッチワークの未熟な産物というほかありません。これでは、拙著『未来のアトム』が、読者に “ トンデモ本 ” であるかのような印象を与えてしまいます。

 取材して記事を書いたことのある、経験豊かなプロの物書きの方でしたら、こうした記事を書いたら噴飯(ふんぱん)ものであるということは、すぐにご理解いただけるでしょう。助教授がそういったというなら、先ずは、発言の出所(出典)を明らかにすべきです。

 助教授の名前、肩書き、プロフィールなどを明らかにした上で、どういうシチュエーションでの発言だったのかということなどを明らかにすべきです。

 出所(出典)をなんら明らかにしないまま、捨てゼリフを拾ってきて、それを、そのまま、記事として書いてしまう。自分が確認したわけでもないのに、あたかも、自分が確認したかのように、自分の “ 地の文 ” として、記事を書いているのです。

 そこには、大きな飛躍があり、“ ウソ ” が入り込んでしまいます。物書きとしての私自身に照らしていえば、自分だったら絶対やらないことです。また、やってはいけない、とこれまで肝に銘じてきたことです。

 しかも、インタビューを申し込んできたのは彼女のほうからであって、私は単にそれに応じたに過ぎません。礼儀からしても、無礼な態度というものでしょう。

 インタビュー記事には、インタビュー記事としての「書き方」というものがあります。もっとも、「書き方」うんぬんは、インタビュー記事に限ったことではありませんが。

 あくまで、下書き原稿の段階とはいえ、こうした下書き原稿を平気でFAXしてくる。そこに、彼女の原稿づくりの手荒さ、未熟さが見て取れました。この人は、まだ “ イロハ ” を勉強しなければならない勉強段階にある人だなと、その時、私はそう思いました。

 記事を書くに際しては、その段階で書きえる「範囲」というものがあります。彼女がその段階で書きえた「範囲」ということでいえば、「物理学の助教授が、私(田近)とのメールのやりとりの中で、こんなことをいっている」ということだけです。個別意見に過ぎないものを、なんの検証もせずに、直(ただ)ちに一般化することはできません。

 一般化するには “ 手続き ” というものが必要です。時間をかけて、科学者たちの反応を丹念に調べていく必要があります。もちろん、雑誌のインタビュー記事を作るに際して、そんな時間も余裕もないでしょう。

 でしたならば、なおのこと、記事作りは慎重でならなければなりません。その段階では、どこまで書けるのか、書いていいのか、ということに注意深くあらねばなりません。


 最小限にとどめた

 下書き原稿の赤入れ


 さて、そこで、今度は私の話になります。送られてきたFAXの下書き原稿に、私が赤入れして、付け加えた挿入文は次の通りです。付け加えたのは、「唯物論以外の立場を認めない」という挿入文です。その一文だけです。

 その結果、どういう文章になったかというと、こういう文章になりました。彼女がFAXで送ってきた下書き原稿の文章に、私が「唯物論以外の立場を認めない」という挿入文を加えた、くだりの部分です。

「この結びつけ方はアクロバット的であり、唯物論以外の立場を認めない科学者のサークルからは『異端』だと、まじめに相手にされない。」、と。

 最終的に、こういう文章となりました。これが世に出た文章ということになります。もちろん、「アクロバット的」だとか、「異端」だとかいう言葉を使った言い方は、すべて彼女の個人的な感想、つまり主観であり、個人的な見解に過ぎません。恣意的(しいてき)な見方に過ぎません。ただし、そうした主観を生んだ背景にあったのは、メールの中の、物理学助教授の主張です。誤読にもとづく主張です。

 さて、その時、私がなぜ「唯物論以外の立場を認めない」という最小限度の赤入れにとどめたのか、ということを述べなければなりません。

 当時は、拙著『未来のアトム』が出版されて、まだ間もない頃で、科学者の書評も含め、書評というものが一切出ていない時期でした。背景として、そうした時期、そうした状況にあったということを、なにとぞ、ご理解ください。

 その時は、彼女に渡した資料の中の助教授の主張しかありませんでした。助教授が科学者であることは間違いありませんが、科学者とはいうものの、いや科学者だからこそ、しばしば、陥りがちな、専門が “ タコ壺(つぼ)化 ” したような “ 教養や視野の狭さ ” というものが、そこにはありました。哲学的無知にもとづく誤読、主張がありました。

 私にいわせれば、“ 狭隘(きょうあい)なる唯物論者 ” “ 単純な唯物論者 ” が、陥(おちい)りがちな、ある意味、「典型的な誤った主張」である、ということになります。

 しかし、彼女は、その主張を100パーセント正しいものだ、と受け取ってしまったのです。彼女の記事は、助教授の主張が100パーセント正しい、ということを前提に作られた記事です。そこに、このインタビュー記事の本質的な問題があります。

 そこにはまた、もちろん、「唯物論」の科学や、「唯物論」を是とする社会全体の風潮の下で、救育を受け、育ってきたであろう彼女自身の背景もあったに違いありません。その点は、やむをえない面があったということはわかります。私も、かつて、ベルグソンや小林秀雄氏などの考察を知るまでは、そうした面があったことは否めませんので。

 しかし、だからこそ、読者に換起(かんき)を促すねらいで、私は拙著『未来のアトム』の中で、ベルグソンの「二元論哲学」を論じるにあたり、「こんなことをいうと、現代科学の常識に反するようだが」という断わりを、何度となく入れたつもりだったのです。

 これまでの科学の常識を疑ってみる——そういう視点を、読者にぜひ共有していただきたいと思ったのです。

 今回のインタビュー記事で起きたことについていえば、一介の「物書き」という肩書きよりも、「物理学の助教授」という肩書きを信じてしまったという、世間にありがちな傾向が、彼女にあったことも否(いな)めないでしょう。いずれにせよ、問題のインタビュー記事が出た背景には、いくつかの要因が重なっています。


 「心脳問題」のむずかしさ


 しかし、もちろん、私にも責任がないわけではありません。そもそもは、私が彼女に渡した資料がもとになっているわけですから。私が、彼女に資料を渡したのは、実はこんな気持ちからでした。

 “ こうした「唯物論科学者」の、自らの前提を省みない、一方的な意見もあるけれども、『未来のアトム』についてのインタビュー記事を書く上で、何かの参考にはなるだろう。インタビュー記事が、読者の注意をより喚起する内容になるかもしれない、より刺激的な内容になるかもしれない ” ——そういう程度の気持ちから、私は彼女に資料を渡したのです。

  しかし、起因をつくったのは、その意味では、私です。私が彼女にそんな資料さえ渡さなければ、問題は起きず、何事もなく、無難なインタビュー記事で終わっていたはずでしょうから。

 そこには、彼女に対する、私の “ 読み間違い ” というものが、確かにありました。インタビューを申し込んできたのは彼女である。彼女は、『未来のアトム』をきちんと読みこなし、内容をちゃんと把握しているはずである。『未来のアトム』の主張に共感を覚えたからこそ、インタビューを申し込んできたはずである、などなど。

 インタビューが行われた現場の状況、雰囲気からしても、たぶん資料を渡しても大丈夫だろう、心得た記事を書いてくれるはずである、という “ 読み間違い ” が、確かに、私にはありました。彼女の読解力、咀嚼(そしゃく)力に期待していたといいましょうか。

 しかし、実際には、私の思い込みとは、逆の方向に、事態は動いてしまいました。彼女の科学的知識、哲学的知識、それに経験から照らしてみて、彼女には “ 荷が重すぎる ” 課題を与えてしまった、ということにあとで気づきました。その意味では、私にも反省の気持ちがあります。

 最もむずかしい「心脳問題」「心身問題」についての判断を、結果として、彼女に求めてしまうことになってしまったからです。人類が未だに答えを出しえていない、深刻で、実にむずかしい問題です。永遠の「謎」といっていい、そんな問題です。

 彼女からすれば、極めて困った事態になってしまった、ということになったに違いありません。彼女自身、どう書けばよいのか、わからなかったというのが正直なところでしょう。それに、当時は、彼女にとっても、誰にとっても、判断材料があまりに少な過ぎました。


「唯物論」に染まった

 科学者の “ 狭隘さ ”


 さて、物理学の助教授の話です。私には、助教授の誤読は明らかでしたが、誤読だからといって、助教授の主張が変わるわけではありません。

「唯心論」と「二元論」の違いなど、助教授にとっては、そもそも、どうでもいいことでしょう。そんな哲学的区別など、助教授にとっては、おそらく、関心外のことなのでしょう。自分は「唯物論しか認めない」というのが、助教授の主張なわけですから。

 拙著『未来のアトム』の中では、ベルグソンの「二元論哲学」に言及したわけで、そのことに対して、ほかの科学者たちがどういう反応を示すのか? その時は、助教授の声しかありませんでしたから、私には、はかりかねた、というのが正直なところです。

 実際のところ、科学者たちが、「まじめに相手にしてくれる」のか否かということについては、科学者たちの声を待つしかありません。科学者たちの書評を待つしかありません。それが、実証的態度というものでしょう。

 残念ながら、その時は、他の科学者たちの声はまだ届いていませんでした。それゆえ、私としては、動きたくても動けなかった、ということがあります。

 それで、私は強い不満と憤りを覚えつつも、その段階では、「唯物論以外の立場を認めない」という “ 最小限度 ” の赤入れにとどめたのです。いや、その時は、そうせざるをえなかった、というのが正確な言い方です。

 助教授が、唯物論者」であり、唯物論以外の立場は認めない、ということはわかっていました。その時、私が確実にいえたことは、それだけでした。それに、私には、彼女には「下書き原稿は事前に見せなくてもいい」と、自分のほうからいっておいた、という手前もありました。

 また、もちろん、「言論の自由」ということは、出版界のテーゼです。私には、自分の希望的観測にもとづく勝手な赤入れは許されない、との思いもありました。

 しかし、逆にいえば、私の勝手な思い、つまり主観的な赤入れが許されるのなら、いくらでも赤入れはできたのです。私に都合のいいように書く、私に有利なように書くという恣意的で主観的な赤入れならば、いくらでもできたのです。それを、あえてやらなかったということを、なにどぞ、ご理解ください。


「筆力不足」と

 謝るインタビュアー


「プレジデント」誌のインタビュー記事が出たあとで、冒頭で述べましたような、マスコミからの反響がいろいろありました。雑誌、新聞、テレビ、ラジオなどで、拙著『未来のアトム』は、いろいろなところで、取り上げられました。科学者たちの新聞書評も、複数掲載されました。私の知る限り、先の物理の助教授のような誤読にもとづく、唯物論に凝り固まった論評というのは、ありませんでした。概(おおむ)ね、肯定的であり、好評だったと思います。

 そうした状況を見て、私はこう思いました。確信をえることができました。ちゃんと正読していただけたようだ、正読してくださった結果として出た書評は、科学者たちのそれも含めて、まともで冷静な書評である、というふうに。

 こうした書評などが出そろったあとの時点で、「プレジデント」誌のインタビューが行われていれば、インタビュー記事はまるで違ったものになっていたはずです。それで、私はその事実を、インタビュー記事を書いた「プレジデント」誌の当の女性編集者に伝えました。

「今の時点から見れば、あなたのインタビュー記事は妥当性を欠いている。バランスを欠いている。『まじめに相手にされない』という、インタビュー記事でのあなたの書き方は乱暴過ぎるし、粗雑過ぎる」、といった趣旨のことを彼女に伝えました。

 すると、その女性編集者から、「当方の筆力不足で申し訳ありません」という内容のお詫びのFAXが送られてきました。私はそのFAXを見て、こう思いました。謝まったことは、とりあえずは、「良し」としよう。しかし、「筆力不足」とはなんだ。

 あなたは、助教授のメールにあった捨てゼリフを、ただ、そのまま引用しただけではないか。しかも、あたかも自分で確認したかのように、断定的に自分の “ 地の文 ” として、そう書いた。彼女の「筆力不足」という言い訳には、明らかな “ ウソ ” がありました。私は、その “ ウソ ” に、物書きとして憤然やるかたないような思いがしました。どこか、怒りのようなものを覚えました。

 それで、再び、彼女に連絡して、プレジデント社としての「正式な訂正とお詫び」を要求しました。誤読にもとづく助教授の捨てゼリフを、出所(出典)を明らかにしないまま、自分の “ 地の文 ” として書いた。捨てゼリフを、そのまま引用して、自分の “ 地の文 ” として書いた。

 その結果、『未来のアトム』が、 “ トンデモ本 ” のような扱いを受けてしまった。そんな短絡的で軽率なインタビュー記事を書いてしまった彼女の無責任さを見逃すことはできない、放置することはできない、と考えたからです。

 あわてて飛んできたのが、当の彼女と、女性の副編集長の2人でした。会談は、版元であるアスコム(当時はアスキー)の会議室か応接室のようなところで行われました。アスコム側からは、編集の責任者と、直接の担当編集者の2人が立ち会いました。

 私は、アスコム側で用意してもらった『未来のアトム』に関する書評や関連記事などを、「プレジデント」誌側に渡しながら、インタビュー記事が出た経緯を説明しました。

 会談は、当の女性編集者に対する、私の問いから始まりました。

「なぜ、あなたは『未来のアトム』を、 “ トンデモ本 ” でもあるかのように貶(おとし)めるような、こんなインタビュー記事を作ったのですか?」、と。

 その私の問いに対して、彼女はやはり、「筆力不足でした」と答えるばかりでした。私は、いいました。

「それは違うでしょう。あなたは、インタビューの時に私が渡した資料である、私と物理学の助教授とのメールのやりとりから、この一文を拾った。助教授の捨てゼリフのような一文をメールの中から拾い、そのまま引き写して、自分の “ 地の文 ” として書いた。その結果が、このインタビュー記事でしょう」、と。

 私はかなり厳しい口調で、そう指摘しました。そして、彼女の記者としての姿勢を正しました。捨てゼリフに過ぎない私的なメールの一文を、そのまま咀嚼(そしゃく)もせず、乱暴に引き写してしまったこと。しかも、それを自分の “ 地の文 ” として、そのまま書いてしまったこと。

 取材ひとつせず、裏づけも取ろうとしない、彼女の記者としての未熟さを指摘しました。助教授のセリフを引用するなら、出所(出典)を明らかにすべきである、とも指摘しました。

「あなたのインタビュー記事は、デスクワークとパッチワークで作られた記事に過ぎない。その結果、このインタビュー記事は、全体が、あなたの感想文のようなものに過ぎなくなっているではないですか。一体、誰のための、なんのための記事なのですか。

『まじめに相手にされない』本だというなら、雑誌の『インタビュー・コーナー』で取り上げて、わざわざ記事にする必要など、そもそもないではないですか」、と。

 私は語気を強めて、彼女に迫りました。彼女から、反論は一言もありません。事実は、私が指摘する通りだったからです。彼女は顔色をなくしたかのように見受けられました。「インタビュー・コーナー」の著者である私から、直接、厳しく糾弾(きゅうだん)され、明らかに狼狽(ろうばい)したような様子で、言葉を失っていました。


 「言論の自由」には責任が伴う


 私は、改めて、彼女にこう尋(たず)ねました。

「インタビューの際、あなたは『私が、私が』とおっしゃっておられました。あなたが、『言論の自由』ということを、強調されてるように、私の目には映ったのです。私が最小限度の赤入れにとどめたのは、あなたの『言論の自由』を重んじたからじゃないですか。だから、私にとっては、失礼で、粗暴で乱暴極まりないと思えたこのインタビュー記事、ここまで書いていいのかと思えたこのインタビュー記事の赤入れを、あえて最小限度にとどめたのです。

 当時、私が確実にいえると思えた範囲内の赤入れにとどめたのです。あえて、自分を抑えたのです。あなたの言論の自由を拘束しなかったではありませんか。あなたの言論の自由を拘束しないと、そう約束したじゃありませんか。言論の自由を行使すれば、当然、責任が伴います。だから、今、あなたは責任を取るべきじゃないですか?」

 私がこういうと、彼女は、「田近さんと、そんな約束をした覚えはない」と返答しました。“ ボタンのかけ違い ” があったのかとも思いましたが、なんだか彼女の “ 言い訳 ” に過ぎないようにも聞こえました。

 そこで、私は著者へのインタビューを掲載する「本の時間」という「プレジデント」誌の「インタビュー・コーナ」の性格を、同席していた「プレジデント」誌の女性副編集長に尋(たず)ねました。

 副編集長によれば、「普通に、著者の方や著作のことをご紹介するコーナーであって、変な突っ込みを入れるようなコーナーではありません」、とのことでした。

「週刊文春」に見られるような、突っ込んだり、切り込んだりするような記事を書くコーナーではない、というのです。

 うかつにも、私はそのことを聞いていませんでした。また、そういう記事のコーナーである、ということも、あまりよく知りませんでした。彼女の「私が、私が」という、妙に煙幕(えんまく)を張るような言い方に、目をくもらされていたような気にもなりました。

 私としては、最初から、そういってもらえれば、実証的態度などと、あまり肩肘(かたひじ)張らず、もっと気軽に赤入れしていたものを、という気もしました。


 著作の評価は

 他人がやるべきことである


 最初、副編集長の態度は低姿勢で、友好的でした。訂正と謝罪に応じるような雰囲気でした。インタビュアーを務めた彼女に対して、“ あなたは自分のほうからインタビューを申し込んでおきながら、なんという失礼なインタビュー記事を書いたのか ” というふうに、彼女をたしなめるといった具合でした。

 しかし、途中から、その雰囲気は一変しました。私が、一度、下書き原稿に目を通し、赤入れまでしている、ということがわかったためです。なぜか、インタビュー記事を書いた当の彼女は、社内では、そのことを黙っていたようです。副編集者は強気に転じました。そして、彼女に対しては、「警戒して」、と注意を促すようになりしました。

 私は彼女に対して、「警戒などする必要はない。あなたは自分の良心にもとづいて、事実を語るべきだ」といいました。しかし、この時から、「プレジデント」誌側とは、互いを認めあえない、敵対関係になった、ということが、はっきりしていきました。

 私はインタビュー記事が出た経緯を、再度、繰り返し説明しました。「まじめに相手にされない」という彼女の文章を否定するには、私の主観では足りないこと、つまり、ほかの科学者たちの肯定的な声が必要であること、私の主観でもっては勝手に書けないということ、を繰り返し説明しました。

 そして、彼女が「筆力不足でした」といっていることは “ 言い訳 ” であり、“ ウソ ” である、と繰り返し述べました。彼女が、助教授のメールの中の捨てゼリフを、そのまま引き写し、裏づけもとらず、そのまま、自分の “ 地の文 ” として書いたということを、改めて指摘しました。しかも、その助教授の捨てゼリフは、そもそも、誤読にもとづいています。誤読にもとづく捨てゼリフを、そのまま書いてしまった、ということを指摘しました。こんなことが、許されていいはずがありません。

 しかし、「それは通らない」というのが、副編集長の言い分でした。「あなたは1回、下書き原稿を見ているではないか。しかも、赤入れまでしているではないか」というのが、副編集長の言い分です。それは、その通りです。私だって、出版界でこれまで生きてきた人間です。副編集の言い分はわかります。形式的には、その通りです。

 しかし、事は科学者たちが『未来のアトム』をどう読むかという問題です。科学者たちという、私にとっての “ 他人 ” が、どう判断するかという問題です。科学者たちがどう判断するかは、もとより、科学者たちの判断を聞くしかありません。私が、勝手に判断を下せる問題ではありません。

 改めて思い直せば、そもそも著者に対して、出版されたばかりの自分の著作に対する評価を聞く、科学者の評価を聞く、などということ自体が、どだい、間違いです。それは、他人が下すべき事柄だからです。

 私は、「著者は著作の内容に関しては責任を持つけれども、自分の著作に対する評価に対しては責任を持たない」と、会談の場で、はっきりいいました。そして、当の彼女に対しては、「だからこそ、あなたは慎重に記事を作らなければならなかったのです。作る必要があったのです」ともいいました。

 しかし、こうした私の意見をいくら述べても、副編集長は聞く耳を持ちません。「それは通らない」というばかりです。副編集長は、雑誌側としては、“ 手続き ” や “プロセス” を踏んでいるということを主張するばかりです。自分の部下の “ 非 ” を認めようとはしません。もちろん、“ 非 ” を認めれば、雑誌社側としては、訂正、謝罪に追い込まれ、組織防衛ができなくなってしまいますから。

 でも、私が主張しているのは、“ 事実の大切さ ” ということです。裁判で、たとえ有罪判決が一旦(いったん)出たとしても、それを、くつがえすような新しい事実が出てくれば、それによって、裁判が再び開かれ、無罪となる場合だって、当然、あります。

 私は裁判のことも例にあげ、インタビュー記事を書いた彼女の姿勢を正しました。

「『未来のアトム』で私が書いたことの是非を論じるには、それ相応の科学知識、哲学知識が必要です。でも、この場で聞いていてもわかりますが、あなたには、この問題に対する判断力、ジャッジメント能力が、まだ十分じゃないではありませんか。

 にもかかわらず、あなたは、自分で判断する、結論を出そうとされる。それは、まるであなたが裁判官になっているようなものです。裁判官の資格がない人が、裁判しているようなものじゃないですか。どだい、ムリな話です。」、というふうに。

 会談の場は、しだいに、険悪になっていきました。感情も入り混じった “ 言い争い ”、“ 罵(ののし)り合い ” のような状況になっていきました。双方が、責任の所在はそちら側にある、といって譲らなくなりました。事態は、膠着(こうちゃく)してしまいました。


 最終的な「文責」は編集部にある


 このインタビュー記事には、該当ページに「本誌編集部=文」と書いてあります。文責は明らかに編集部にあります。

 そこで、私はインタビュー記事を書いた当の彼女に、「あなたは『まじめに相手にされない」と記事で書いておられるが、その論拠、根拠をいってください。どうやって、あなたは、そんなことを確認したのですか? 確認できたのですか? 論拠、根拠もいえず、こんな記事を書いたとしたならば、それこそ誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)というもんじゃないですか」と、改めて問い直しました。

 彼女は、「ええっ——!?」といって、たじろぎ、硬直した感じでした。自分の一番弱い部分を突っ込まれたかのようでした。彼女は言葉を失いました。こっそり悪いことをしている現場を、大人に見つかってしまった子供のような表情を浮かべていました。少なくとも、私の目には、そう映りました。彼女は、一言も、しゃべれませんでした。

 私はこう彼女にいいました。

「あなたが書いた記事ではないですか? 問われて、答えられないような記事を書いてはダメじゃないですか。なぜ、黙っているのですか? あなたが、しゃべらないと始まらないじゃないですか。あなたが、しゃべれないのは、あなたが助教授の捨てゼリフを、そのまま引き写して書いているからでしょう。自分でも答えられない記事を書いた。それを無責任というんです。答えられないんだったら、まず謝罪して、そして、記事を訂正すべきじゃないですか」、と。

 そして、副編集長に向かって、私はこういいました。

「彼女は、自分の “ 非 ” を認めているじゃないですか。少なくとも『筆力不足だった』ということは、この会談の場でも、はっきり認めている。『筆力不足だった』ということは、表現に不備があったということでしょう。そのことだけでもいい。訂正と謝罪を出されたらどうですか。

 私に、事前に下書き原稿を見せようが、見せまいが、ある意味では、どちらでもいい。記事を書いた当の本人が、自分の “ 非 ” を認めている。そのことを、なぜ、あなたは認めようとしないのですか? 

 私に、事前に下書き原稿を見せたのだから、もう『プレジデント』誌側には責任がない、責任を私のみに押し付けるというのは、それこそ、責任転嫁というもんじゃないですか。

 事前に下書き原稿を見せられても、その時点では、著者といえども、判断できることとと、判断できないこととがあります。自分の著作を科学者がどう評価するかということについては、科学者に聞いてみるしかありません。私が判断できる問題ではありません」、と。

 さらに、私は続けました。

「間違いは、間違いとして認める。マスコミが自浄能力を持つということは、いいことだし、立派なことじゃないですか」、とも。

 しかし、副編集長は、部下の彼女が “ 非 ” を認めていることさえ、認めようとしません。「彼女は “ 非 ” を認めていない」と、副編集長は、頑(かたく)なにいい張るのです。

 ここまでくれば、もはや子供の喧嘩(けんか)と同じです。意地の張り合いのような様相を呈してきました。もちろん、副編集長にしてみれば、いかにしたら組織防衛ができるか、ということで頭が一杯だったということもあるでしょう。また、自分の部下がやり込められる姿は、上司として、見ていて忍びない、という気持ちもあったでしょう。

 業を煮やした私は、さらに副編集長をこう問い詰めました。

「あなたは、『プレジデント』誌の責任者でしょう。『プレジデント』誌は、特集で “ 上司の責任 ” とかやっているような雑誌じゃないですか。あなたも責任者なら、責任者らしい態度を取られたらどうですか? 彼女は、『筆力がなかった』といっている。逃げているじゃないですか。『プレジデント』誌編集部としての責任を取られたらどうですか? 責任を取るべきでしょう」と、いささか語気を強めて、迫りました。

 まさしく “ 売り言葉に買い言葉 ” のような状況になりました。副編集長は怒りも露(あらわ)に、「おうとる。見解の相違」といって、席を蹴(け)りました。「おうとる」とは「合っている」の意です。

「記事が合っている」といって、副編集長は席を蹴ったわけです。会談は、決定的な、もの別れになり、終わってしまいました。副編集長がそういって、席を蹴ったのは、もちろん、私に一度、事前に下書き原稿を見せている、ということに自信を持ったからでしょう。勝算あり、と踏んだからでしょう。

 結局、「真実はどうだったのか」ということよりも、「利害が優先した」ということでしょう。私の目には、そう映りました。

 しかし、「見解の相違」を理由にすれば、なんだって、「見解の相違」で済ませてしまうことができるはずです。ある意味、こんな便利な言葉はないともいえます。

 例えば、ある人を評して、「賢い」と評するか、「バカ」と評するか? マスコミが、そのどちらかだと断じた場合、「見解の相違」で済ませられるわけがありません。事実にもとづく究明、責任が必ず問われます。場合によっては、“ 名誉毀損(めいよきそん) ” で訴えられたりもするでしょう。

 丹念な取材をして、事実を積み上げいくという作業を大切にしているジャーナリストたちからすれば、「見解の相違」という言葉は、都合のよい言葉、逃げ口上、というふうにしか受け止められないということになるでしょう。

 私は、その時、マスコミの “ 自浄能力 ” ということも、改めて、考えさせられました。


 「プレジデント」誌編集部

  その対応ぶりを批判する


 質問に正面から答えようとはせず、肩透かしを食らったような気分になった私は、憤然とした気持ちになりました。後日、私は「プレジデント」誌編集部の責任を改めて問おうと思い、「プレジデント」誌編集部に電話を入れました。

「編集長を出してください」と、電話口でいいました。「プレジデント」誌の編集長は、電話の相手が私だとわかると、電話に出ようとはしません。そこで、私はやむなく、編集長宛てにFAXを入れました。

「編集長には今回のことがちゃんと報告されているのですか? あなたの耳には、ちゃんと届いているのですか? 都合のよい報告しか届いていないのではないですか?」といった、当時の顛末(てんまつ)について、問い合わせる内容のFAXです。

 後日、編集長から私のもとへ手紙が届きました。

「報告はちゃんと受けている。部下たちの誠実さを疑うとは何ごとか。以上。」といった内容の、素っ気ない、私からすれば、失礼千万な手紙でした。

 私は、この手紙を版元のアスコム(当時はアスキー)の編集の責任者に見せました。彼は、私の意を汲(く)み、悔しがるそぶりを見せていましたが、心境は複雑だったと思います。

 会談の前日、彼のほうへ、「プレジデント」誌の当の女性編集者から電話があったそうです。彼にしてみれば、彼女は知り合いの編集者であり、大学のかわいい後輩です。また、出版界に身を置いている以上、今後の「プレジデント」誌との付き合い、ということもあるでしょう。

 一方、編集の責任者にしてみれば、私とも長い付き合い、信頼関係というものがあります。アスコムから出版されている「思想家・吉本隆明」氏への一連の私のインタビュー本は、すべて、彼とのコンビで作られたものです。彼からすれば、“ 板ばさみ ” のような状態にあったに違いありません。

 “ 法廷闘争 ” ということも、一瞬、私の頭をよぎりました。それで、そのことについて、彼に尋(たず)ねてみました。彼の答えは否定的でした。「プレジデント社には、当然、顧問弁護士がいて、法廷闘争には慣れているでしょうから」、という返事でした。

 振り返って考えてみれば、そもそもは、「思想」をめぐる話です。「思想」を法廷で裁く、というのは、確かに、筋違いといったところはあります。それは、その通りでしょう。

 こうした結果、表向きは何事もなかったかのように、この問題は “ 決着 ” したかのようになりました。


  インタビュー記事は

  今ならこう書かれるべき

 

 以上が、「プレジデント」誌 (2001年9月3日号)に掲載された私のインタビュー記事をめぐる、一部始終、顛末(てんまつ)です。

 事態は、一見、“ 決着 ” したかのようです。しかし、私の中では、もちろん“ 決着 ” など全然していません。こうして、長々とブログの記事を書いてきましたのも、それがためです。

 いわゆる「心脳問題」「心身問題」のむずかしさは、今に始まったわけではありません。その歴史は古く、昔からある「謎」に満ちた、人類にとって、深刻かつ重要な、「永遠の問題」ともいえる問題だからです。

 それは、簡単に決着をつけられるような問題では、まったくありません。現代の科学界や現代の科学者のみならず、現代の社会全般を支配している「唯物論」、そして、「唯物論」をめぐる是か否かという深刻な問題も、当然、その背景としてあります。

 出版界というミクロな世界に目を転じてみても、いうまでもなく、一編集者、一インタビュアーが、記事で簡単に決着をつけられる問題などでは、とうていありません。

 私が『未来のアトム』で言及したのは、「唯物論の科学」と「ベルグソンの二元論哲学」についてであり、その行き着く先は、いわゆる「心脳問題」「心身問題」です。

「ベルグソンの二元論哲学」は、第一級の知性によって描かれた、壮大なる形而上学です。光り輝く知性が生み出した、“ 人類の至宝 ”、といってよい思索の珠玉(しゅぎょく)のような産物です。

 それを、「唯心論」だといって、誤読してしまう助教授のような、“ 哲学音痴 ” の物理学の科学者。そして、こうした物理学の科学者の “ 哲学音痴 ” ぶりにもまったく気づかずに、その暴言といっていい発言を、鵜呑(うの)みにしてしまうインタビュアーの哲学的な教養の欠如。また、そのことを指摘され、気づいても、自浄作用を発揮しようとしないマスコミのあり方。これらが、ないまぜになって起きたのが、この「プレジデント」誌のインタビュー記事の一件です。

 では、どういうインタビュー記事を書くのが妥当だったのでしょうか? 書評や関連記事などが出そろってきた、のちの状況からすれば、こう書くのが妥当だった、と私自身は思っています。たとえ、記事の書き手が、「唯物論者」であったとしてもです。

 今、インタビュー記事を書くとするならば、こう書くべきではないでしょうか。

「ベルグソンの二元論哲学を論じたことから、唯物論しか認めない科学者たちからは批判的な意見が出ている。しかし、その一方、『ベルグソンの二元論哲学』に理解を示す科学者たちからは、肯定的な意見も出ている。科学者ではない識者からは、『優れた著作である』との称賛の声すら出ている。賛否両論、問題の書である。」、といった具合に。


 「脳科学」は

 「精神」に到達できるのか?


 長々とブログの記事を書いてきたのは、事の経緯、詳細を書くことで、物事の本質が何であるのか、社会全体や科学界全体にはびこる「唯物論」の根の深さ、ということを知っていただきたかったからです。

 自分を正当化するために、ただ単に「プレジデント」誌をやりこめよう、彼ら、彼女らを、貶(おと私)めよう、などと思ったからではありません。そもそも、この人たちに、もとより、「悪意」があったなどとも思っていません。

「悪意」や「善意」があろうとなかろうと、うむをいわさぬ「時代の潮流」というものがあります。その「時代の潮流」に異を唱えようとすれば、「悪意」「善意」にかかわらず、「軋(きし)み」や、「摩擦(まさつ)」が、どうしても生じてしまいます。「トラブル」が発生したりもします。

 でも、そうした際、私事で恐縮ではありますが、何かの機会に、私が経験した “ 小さなトラブル ” のことも、思い起こしていただけるようなことがありましたなら、もしかして、何かのお役に立てることがあるかもしれません。

「そういえば、こういうこともあったな。そんな過去のトラブルのことを書いた記事を、どこかで読んだことがあるな」、といったふうにでも。

“ 科学万能 ” と思われているような今の時代にあって、公然と、科学の “ 現在の常識 ” に異を唱えれば、必ずや、「軋み」「摩擦」、そして「トラブル」などが、大なり、小なり、発生するでしょう。場合によっては、科学界からの激しいバッシングもあるかもしれません。そして、あらぬ誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)を受けるかもしれません。

 しかし、その際、そうした行動に出たあなたを攻撃するのは、あくまで、科学の “ 現在の常識 ” であって、科学の “ 未来の常識 ” は、逆に、あなたを肯定し、支持するかもしれません。科学の “ 現在の常識 ” は、時代によって変わるのです。

 なかんずく、人間の「精神」について、現在、科学的にわかっていることは、まだまだ限られています。現代の科学 ⎯⎯ とりわけ、「脳科学」などが、解明しようと進めているのは、実は、“ 脳という物質 ” の物理的、化学的な解明です。その解明に過ぎない、といって過言ではないでしょう。“ 脳という物質 ” を基礎にして、「精神」を解明しようとしているのです。

 それこそが、まさに、「唯物的方法」というものなのです。しかし、これは、科学というものの、そもそもの特質からくることでもあります。「唯物論者」であろうとなかろうと、科学は、「唯物的方法」をとらざるをえないのです。現在の科学、「脳科学」も、もちろん、そうです。それが、科学的、科学的方法と称するものの、“ 実態 ” なのです。

「脳」と「精神」とは、確かに、繋(つな)がりがあります。深い繋がりがあります。しかし、その繋がり方が、まだ、よくわからないのです。“ 脳という物質 ”を、物理的、化学的に分析してけば、その繋がり方が、本当にわかるのでしょうか? 本当に、私たち人間の「精神」にまで、辿(たど)り着けるのでしょうか?

 物理的、化学的な方法で、「精神」をいくら解明しようとしても、やはり、突き崩せない「壁」が立ちふさがるかもしれません。その「壁」こそ、「科学の限界」であり、「科学の方法の限界」ということになるのかもしれません。

 現代の科学、なかんずく、 「脳科学」などは、果たして、どこまで進みえるものなのでしょか? 「脳科学」は、“ 脳という物質 ” の解明を進めていけば、いずれ「精神」に到達するだろう、到達できるだろうという希望を持っているのでしょう。しかし、それは、あくまで、「仮説」に過ぎません。「唯物論」にもとずく、楽観的な「仮説」に過ぎません。

 その「仮説」が、本当に正しいのかどうか? 「正しい」という証明をした科学者は、人類史上、誰一人いませんし、また、ほとんどの科学者は、原点に戻って、「仮説」を検証しようともしません。「仮説」を疑おうともしないのです、

 それがために、証明されていない「仮説」が、単なる「仮説」であるにもかかわらず、あたかも証明されてしまった「仮説」であるかのように、現代の “ メインストリーム ” となってしまっています。大手を振って、街中を歩いているのです。

 私は、『未来のアトム』の中で、こうした事実を指摘したのです。ある意味、指摘しただけなのです。


 一件についての「まとめ」


 さて、最後になりますが、よくご理解いただくために、再度、改めて、申し上げます。先にも述べたことでもあり、いささか重複することをお許しください。

『プレジデント』誌とのトラブルは、こうした大きな時代の潮流を背景に起きました。拙著『未来のアトム』でも、このブログ記事で指摘してきたような、大きな時代の潮流のことを指摘しています。

 もちろん、こうした指摘をしているのは、私だけではありません。優れた文学者であり、思想家でもあり、また、「科学」や「科学の限界」ということにも、深く、鋭い考察をめぐらしておられた小林秀雄氏も、その代表的なお一人です。

 私は他に、「小林秀雄氏の『科学論』」、「小林秀雄氏の『ベルグソン論』」と題した別のブログの記事も書いていますので、ご関心のある方は、ぜひ、ご一読ください。

 このブログの記事で、ずっと述べてきましたように、こうした大きな時代の潮流に疑義を呈した私の主張に対して、“ 哲学音痴 ” な物理学の助教授が、“ 単純な唯物論者 ” にありがちな、哲学的に見れば、実に “ トンチンカンな反発 ” をしました。

 そして、また、おそらく、「唯物論」を科学の “ 現在の常識 ” とみなす、現代社会の中で教育を受けて育ったと思われる『プレジデント』誌のインタビュアーの若い女性が、この助教授の発言を真に受けてしまったのです。雑誌社側も、プロセスはちゃんと踏んでいるとした上で、組織防衛という意図もあり、彼女をかばう側にまわりました。

「真実が本当はどうであるか」ということは、二の次になってしまったのです。

 また、先にも述べましたように、私のほうにも問題がありました。私は私で、科学の “ 現在の常識 ”を強く押し切るほど、“ 未来の科学 ” についての予見が持てませんでした。と同時に、「二元論」が正しい、というほど、ベルグソンや小林秀雄氏のようには強い確信を持ちえていませんでした。

 ですから、当時の私の立場は次のようなものでした。

「唯物論」と「二元論」—— どちらが「正しい」のか? そうした、人類にとって、永遠の「謎」といっていいような問題については、拙著『未来のアトム』では、速断せず、断定せずに、両方の立場に目配りをしつつ、論を進める。

 とはいえ、時代を支配している「思想」、つまり、私の眼には、ファシズム的になっているといって過言ではないように映っている「思想」——「思想」に過ぎない「唯物論」に対しては、ちゃんと懐疑の眼を向ける、というのが私の基本的な立場でした。

 その私の立場は、今も変わっていませんし、それが、今のところ、私が身を置いている「常識」なのです。

 この記事を書くにあたり、私は冒頭で “ 出合い頭の事故 ” という言葉を使いました。“ 出合い頭の事故 ” というのは、「プレジデント」誌との衝突にとどまらず、科学の“ 現在の常識 ” との衝突、という意味も込めたつもりです。

 このブログの記事を読まれた皆さま、そして、拙著『未来のアトム』を読んでくださった読者の皆さまに、ここで、改めて、感謝申し上げます。

 皆さまの、この件に関するご判断を仰ぐと共に、私もまた、気持ちを新たにして、「思索の旅」へと、拙(つたな)い一歩を踏み出していきたいと思っています。



 






 






 


 


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『未来のアトム』(田近伸和著 アスコム)
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