高市早苗さんのこと
- Nobukazu Tajika
- 6月17日
- 読了時間: 23分
更新日:7月6日

◾️高市早苗・内閣総理大臣
(首相官邸ページより)
「華(はな)」を持つ人の輝き
高市早苗さんに初めてお会いしたのは、もう三十数年も前のことです。私が30代後半、高市早苗さんが30歳頃の時でした。高市早苗さんは、アメリカの民主党議員のスタッフの一人として研鑽(けんさん)を積まれ、帰国後、1993(平成5年)年に初めて衆議院議員となっておられます。
高市早苗さんは、1989年には『アズ・ア・タックスペイヤー』(祥伝社刊 )という本も出され、当時、私はこの本を読んでいました。「アズ・ア・タックスペイヤー=as a tax payer」、つまり「納税者として」という意味の題名の本です。
高市早苗さんは、1984年(昭和59年)3月、神戸大学経営学部を卒業。同年4月、松下政経塾に入塾(第5期生)されています。『Wikipedia:ウィキペディア』によれば、松下政経塾の創業者・松下幸之助氏より「1990年に入ると日本は長期不況に突入する」などの指導を受け、衝撃を受けた。「経営の神様である松下氏がそのような未来を予測しているなら、自分は国の仕組みをつくったり、将来のリスクを最小化するための仕事をしたい」と考え、国政挑戦を決意されたとのことです。
さらに、『Wikipedia:ウィキペディア』によれば、1987年、松下政経塾からアメリカ連邦議会に「Congressional Fellow」として派遣されたとのこと。女性政治家で、アメリカ合衆国民主党下院議員のパトリシア・シュローダー氏が、大統領選挙から撤退する際に、涙を流して演説する姿に感銘を受け、「将来、日本の首相になりたい」との決意を記した手紙をシュローダー議員に送った。それがきっかけとなり、同議員の事務所で働く機会を得たといいます。
そして、パトリシア・シュローダー民主党下院議員の個人事務所や委員会において、議員立法のために必要な調査や分析を行ったとのことです。20代の頃に、すでに、「将来、日本の首相になりたい」という思いを持ったというのは、いかにも高市早苗さんらしいですね。今日を彷彿(ほうふつ)とさせます。さながら、明治維新をもたらした幕末の志士のようです。
高市早苗さんに初めてお会いした当時、私は「『生き方』の達人」というタイトルの雑誌連載をしており、そこで雑誌に登場していただいたサラリーマンの方々などにお声をかけ、「ブレイクスルー研究会」という研究会を主宰していました。ちなみに、「ブレイクスルー」とは、「限界突破」という意味の英語です。
会員は50人くらい。毎月1回、東京・新宿区信濃町の喫茶店を借り切り、夜の6時から9時ぐらいまで、軽食やアルコールを摂(と)りながら、皆でワイワイ、「朝まで生テレビ」のような討論会をやっていました。4年間ほど、やっていました。
毎回、講師の方をお招きして、お話しをしていただき、そのお話を題材にして、皆で質疑応答、討論を行うというものです。「ブレイクスルー研究会」の主要メンバーのお一人に山本勝彦さんという、ネットワークの界隈では有名なネットワーカーの方がおられ、その方の紹介という形で高市早苗さんを講師としてお呼びしたという次第です。
なにせ、三十数年以上も前のことなので、高市早苗さんが話された内容のことや、どんな質疑応答、討論がなされたかについてはよく覚えていませんが、高市早苗さんの肝の座った堂々とした話しっぷり、スピーチのうまさには感心しました。高市早苗さんは、当時から光っておられましたね。
帰り際、高市早苗さんはグラスを持ち上げ、高くかざしながら、「ブレイクスルー研究会の今後の発展を期待して!」と音頭をとってくださり、場を大いに盛り上げてくださいました。今にして思えば、将来、政治家として注目を浴びる「華(はな)」、いや、それ以前の人間としての「華」をお持ちでした。
私は「ブレイクスルー研究会」の代表幹事でしたので、タクシーに同席して、高市早苗さんを目的地までお送りしました。高市早苗さんが首相となられた今では、SPがしっかりガードしているので、そんなことはもはやできないでしょうが。
高市内閣で閣僚たちも覚醒
そうした個人的思い出もある高市早苗さんですが、2025年10月には、女性として初の自民党総裁となられ、そしてさらに、女性として初の日本国総理大臣、首相となられました。私はこの模様をテレビで見ていたのですが、まさに吉報、「よし! これで日本がよくなるぞ!」と、テレビの前で思わず叫んだものです。
前の首相である石破茂氏、そして、その前の岸田文雄氏が酷(ひど)すぎたからです。とりわけ、石破茂氏は酷かった。ウソといわれても仕方のないような言説を平気で展開するし、立ち居ふるまいに品がなく、傍目(はため)に見ていても酷かった。YouTubeの動画で見たのですが、G7など国際舞台での立ち居ふるまいは「日本の恥」だとも思いました。
外国の首脳が立ち上がって握手を求めてきても、本人は座ったまま握手する。他の首脳たちが積極的に立ち話をして首脳外交を推し進めているのに、本人は所在なさげにスマホをいじっている。「日本の首相としてトップ外交しろよ! ちゃんと働け!」と腹ただしく思ったものです。そんなテイタラクだったからこそ、「石破おろし」となり、結局、首相をクビになったわけですが。
高市早苗さんが日本国のトップとなり、日本の舵取りは大きく変わりました。180度変わったといってもいいほどです。トップが変わると、これほど変わるものか。そう思った日本人は少なくないはずです。企業経営者の方なども、大いに身につまされたのではないでしょうか。
日本人全体の意識、モチベーションが変わりつつあるように感じます。テレビの国会中継の視聴率が上がったこと自体が、その証左といえるでしょう。これは、まさに⌜高市革命⌟と呼べるものです。2025年10月21日に発足した高市内閣、その後の国会での答弁を聞いていても、この視聴率の高さの理由がわかります。
例えば、初の女性財務大臣となった片山さつきさん。元大蔵省主計官のキャリアを活かし、専門家としての知識と経験に裏打ちされた、歯に衣着せぬ答弁。説得力があります。
また、経済安全保障担当の小野田紀美さん。日米のハーフ女性として、これまた歯に衣着せぬ答弁。臆せぬ言い方は、堂々としています。見ていてもスカッと気持ちがいいですね
官房長官の木原稔氏も、高市さん側近といわれるだけあって、高市早苗さんをしっかりフォローしている。高市内閣のメッセンジャーとして、自覚的に内閣を推し進めようとする気概が感じられます。
それから、防衛大臣となった小泉進次郎氏。これまで、スタンスが曖昧(あいまい)で、意味不明瞭の発言が多く、保守派といわれる人たちから何かと揶揄(やゆ)されてきたわけですが、高市内閣の防衛大臣になってからというもの、見違えるようです。
選挙区が神奈川県横須賀市であり、米軍は昔からの馴染み。勢い安保問題を考えざるをえない環境下で育ったせいか、はっきりと国防について語っているように見受けられます。中国に対しても、臆せずものをいっているところがありますね。SNSでは「進次郎覚醒」の文字も散見されます。
外務大臣となった茂木敏充氏についても、一種の覚醒感のようなものがあります。これまで「シェーシェー茂木」などと侮蔑的にいわれたりして、保守派といわれる人たちからその中国迎合的な姿勢を揶揄(やゆ)されたりもしていましたが、今回は中国に対してもいうべきはいう、という姿勢をハッキリさせているように見受けられます。
首相という国政のトップを担う人の考えや姿勢が明確である。そのことにより、これまでと違って、各閣僚が忖度(そんたく)せずにものがいえる——そんな風土が、国会にもできつつあるというふうにも見受けられます。
毅然とした台湾有事発言
高市首相の国会答弁——台湾有事の際、わが国の立場は「存立危機事態になりうる」という答弁は、わが国の法制上、なんら間違ってはいません。
「これまでの曖昧(あいまい)路線から逸脱(いつだつ)した。踏み込みすぎだ」と、高市さんを非難するのは、見当はずれもはなはだしい、というものです。逆に、国会で具体的な質問をして、具体的な回答を要求した、当時の立憲民主党の岡田克也氏(元外相)のほうにこそ問題がありました。
岡田氏は国会質疑の前、2025年に2回も訪中して、中国共産党の謀略機関といっていい機関のトップと会っていた、といわれています。そこで、台湾問題について何らか耳打ちのようなものがあったのではないか? そう疑われても致し方ありません。
おまけに、岡田氏はイオングループの創業者の一族。イオンは中国で数多くの店舗を展開しており、問題となった国会質疑の直前にも、イオンは中国で超大型店を開業しています。高市首相の「存立危機事態になりうる」という発言の後も、中国国内で何のお咎(とがめ)もなく商売を続けており、優遇されています。中国共産党のおメガネにかなっているわけです。
これは、まさに利益相反、国会議員としてあるまじき行為といえるものでしょう。こんな背景を持つ人物を国会質疑にのぞませる、立憲民主党という組織のガバナンスも大いに問われるべきです。もっとも、このことがきっかけで、岡田氏は2026年2月の衆議院選挙で落選しましたが。
高市政権が誕生して明確化したのは、誰が私たち国民の足を引っ張っているかということです。まずは、いわゆる媚中派(びちゅうは)と呼ばれる自民党内の国会議員たちがいます。石破茂や岸田文雄といった元首相経験者や岩屋毅元外相、村上誠一郎元総務大臣といった面々です。
次に、立憲民主党、中道改革連合、共産党、れいわ新選組といった野党の左翼政党です。概して中国寄りで、いまだに古臭い左翼思想から抜けきれない政党です。もう消え去っていい政党でしょう。野党となった公明党もそうでしょう。ちなみに、公明党の媚中ぶりはよく知られています。
また、わが国のメディア・マスコミの酷(ひど)さも露呈しました。朝日新聞、毎日新聞、東京新聞など典型的な左翼新聞や、TBS、テレビ朝日などの左寄りの民放テレビ局、そして公共放送であるはずのNHKまで。
これらテレビ局の「反高市」に偏した歪曲された政治報道。さらには、テレビに登場するコメンテーター、専門家、学者たちの主張や発言などなど。それらのメディア・マスコミの主張や発言は、総じて、左派リベラルのそれでした。
左派リベラルの人たちは、人道主義的で平和の味方のような顔をして、いかにもリベラル、進歩派めかしてはいますが、実態は、古臭い考え方に囚われているだけの人たち——旧態的な左翼イデオロギーの持ち主たちにほかなりません。その彼らが、左翼的言説を汚水のごとく垂れ流しているのが、既存メディア、オールドメディアなのです。
メディア・マスコミの大切な役割——とりわけ報道の現場においては、まずもって、「事実」を伝えることが大切な役割でしょう。しかし、今の日本のメディア・マスコミは、「事実」を伝えるのではなく、左翼イデオロギーに基づいて、左翼イデオロギーを視聴者に押し付けているだけです。「偏向報道」そのものです。なぜ、そのことを自省しないのでしょうか?
私は、高市さんは、左翼でも、右翼でもない。「中央」に立っている人だと思います。しかも、臆せず、堂々と立っておられます。高市さんの発言やふるまいから感じ取れるのは、人格の確かさ、信念の強さ、国や国民にしっかりと寄り添うという姿勢です。
私は、元来、「保守派」とか、「左派リベラル(進歩派)」とかいった、単純な二分法、分け方が嫌いです。人間は、保守的要素も左派的要素も併せ持った、もっと複雑な知的生き物だと思っていますので。
しかし、メディア・マスコミは高市さんを「保守派」であるとして簡単に片づけ、いかにも「反動」であるかのようなレッテルを貼り付けます。メデイア・マスコミの区分け方は、実に単純です。ほんとうに底が浅い。
「左派リベラル」を気取っている彼らには、高市さんの「立ち位置」が気に食わないという、ただそれだけのことだけでしょう。
自分たちのイデオロギーこそ正しいと凝り固まり、そうでない人——特に政治家や政府の要人のことなら、何でも貶(けな)してもいいとして、悪し様にいいたい放題、溜飲を下げる。これは、「権力批判」でも何でもありません。逆に、了見が狭く、人格が卑しいことを露呈(ろてい)しているだけです。さもしいエリート主義の裏返しというものでしょう。
もとより、思想を持つこと自体を否定しているわけではありません。「左翼思想」を持つか、「右翼思想」を持つかは、もちろん、「個人の自由」です。「個人の自由」を否定しているわけではないのです。そうではなく、自分たちのイデオロギーを押し付けるな、といっているのです。ましてや、メディア・マスコミは、一応、「社会の公器」としての影響力を持っているのですから。もっとも、その偽装はバレ始め、影響力は低下する一方ですけれども。
国民は、すでにメディア・マスコミのウソに気づき始めています。今は、SNSの台頭により、誰しも自由に発言ができて、誰しもメディア・マスコミが報じない「情報」「事実」「真実」を手に入れることができる時代になりつつあります。
その結果、既存のメディア・マスコミは衰退し、「社会の公器」などとは誰も思わなくなりつつあります。国民はメディア・マスコミに対して、「免疫力」を持ち始めたのです。
「左翼思想」の落とし穴
さて、「そもそも」という話になりますが、よく知られていますように、「左翼」とか「右翼」とかいう言葉の語源はフランス革命にあります。
フランス革命は、1789年から1799年にかけて起きた市民革命です。特権階級が支配していた「絶対王政」を打倒し、身分制度を廃止、「自由・平等・博愛」という現代社会の根幹となる理念を掲げました。これは、誰しも学校で教わることでしょう。
革命期に開かれたフランス議会で、議長からみて左側(左翼)に共和・革新側の急進派(ジャコバン派)が集まり、右側(右翼)には王党側など保守・穏健派が集まった。これが、「左翼」とか、「右翼」とかの語源です。
マルクス主義的用語でいえば、左翼は社会的にも経済的にも「下層階級」です。一方、右翼は上流側にいて、社会的にも経済的にも富を享受できる「上流階級」ということになります。
ですから、こうした区分けに照らし、歴史をかえりみれば、世界が「共産主義革命」の理想に燃えたことも十分にうなずけます。とりわけ世のいわゆるインテリほど、これに燃えたのです。
戦後のわが国のメディア・マスコミやジャーナリズムを支配していたのも、この熱気であり、思想でした。筑紫哲也、田原総一郎といった戦後のメディア・マスコミやジャーナリズムによく登場したジャーナリストたちは、総じて、「左翼リベラル」の思想の持ち主でした。
ちなみに、私がお付き合いがあった思想家の吉本隆明氏は、大きな枠組みでは「左翼陣営」とみなされるのでしょうが、ご自身は共産党などとは一線を画する意味で、「独立左翼」を自称しておられました。「思想の自立的根拠」というものを、あくまで、人間を内省的に捉える文学や哲学・思想とのかかわりの中で、探し求めておられたのだと思います。
また、私が尊敬する文学者の小林秀雄氏は、保守派の論客とみなされていましたが、「僕にはイデオロギーがないからね」ともおっしゃっておられました。イデオロギーに凝り固まり、「自由な思想」を見失っている左派に向けた言葉——放言のようでありながら、相手の急所を突いている、いかにも小林氏らしい言い草といえましょう。
ところで、理念的にみれば、「左翼リベラル」は、一見、よさそうな理念にみえます。人間の「理想」を掲げているようにもみえます。
では、どこに落とし穴があったのでしょうか? 戦後、保守派の論客として知られた西部邁(にしべ・すすむ)氏は、学生時代は左翼思想の持ち主でしたが、その後、年輪を積み重ねる中で保守派の論客とみなされるようになっていきました。
なぜでしょうか? その理由について、言葉は正確ではありませんが、西部氏はおおむねこんなことをいっておられました。
かつての社会主義国ソ連の「経済計画」の失敗にみてとれるように、国家の経済政策は社会主義、共産主義の「計画経済」ではうまくいかない、ということが段々と明らかになってきた。
それは、つまるところ、人間にはそもそも自由意志というものがあり、この自由意志を国家がコントロールすることはできないからである。結局、そういう結論に帰着する。にもかかわらず、社会主義、共産主義は、経済を「計画的」にコントロールしようと思った。
しかし、コントロールできると思ったこと自体が、そもそもの間違いである。それは、人間の「思い上がり」であり、「傲慢(ごうまん)」というものである、と。「傲慢がもたらした罪」にほかならない、というわけです。
ひるがえって考えてみるに、人間がコントロールできないないのは、なにも経済とは限りません。国家づくりから町おこしに至るまで、いや、もっと身近なことでいうなら、世の中の人間関係——友達関係や夫婦仲に至るまで、人間にはそうしたことを完全にコントロールして、うまくやりおおせることはとてもできないでしょう。
それは、誰しもが認めざるをえない事実であり、社会全般にみられる事柄でしょう。こうした世の中全般にみられる様々な事柄を、完全無欠にコントロールできる人など、どこにもいないはずです。まあ、もっとも「神」ならば、できるかもしれませんが。
共産主義国家の破綻
共産主義革命には「無神論」と通底するものがあります。そこには、どこか人間が「神」になろうとする意志のようなものが働いているようにも思われます。
それを、「思い上がり」や「傲慢」とみなすのか? それとも、人類の発展史において、まだ人間が「未熟」なだけとみなすのか? 見解は人によって違うのでしょうが、まずは「歴史の事実」を知るべきです。
実際、共産主義、社会主義の試みは、経済的にみてもうまくいってはいません。その国に住む民衆を豊かにしているかといえば、けっしてそうではありません。民衆は、貧しさから解放されていません。社会的・文化的な面でも、まさにそうです。「言論の自由」がないことなど、その象徴的な事例でしょう。国家単位で冷静に眺めてみれば、これは明らかだと思います。
1989年には東西ドイツを隔てていた「ベルリンの壁」が崩壊し、1991年にはソ連が崩壊しました。この事実は、社会主義、共産主義では、国家運営がうまくいかなかったことを端的に示しています。
また、歴史的にみれば、社会主義国家や共産主義国家は、ファシズムを招来させたことも事実です。国家権力を握った独裁者が、国家全体をコントロールしようとします。その結果、秘密警察が生まれ、反対者を閉じ込める強制収容所が生まれます。民主主義国家とは、ほど遠い国家形態です。フランス革命の理念とは、180度違う理念によって国家が運営され、民衆は弾圧されるのです。
ソ連はもとより、今のロシアにしても、それに中国、北朝鮮などにしても——社会主義、共産主義に基づく理念によってつくられた国家を、自由主義国の人たちは、誰も「理想の国家」とはみなさないでしょう。かつて、それを「理想」とみなしていた人たちも、現実を知って、自分たちが勝手に夢見ていた理想が「幻想」にすぎなかったことを思い知ることになったに違いありません。
「ベルリンの壁」の崩壊や、ソ連という国家の崩壊——こうした歴史的事実が物語っているのは、社会主義国家や共産主義国家よりも、アメリカやイギリス、フランス、ドイツ、イタリア、そして日本などの先進資本主義国家のほうが、よほど自由で豊かであり、民主主義的であって、その国に住む民衆の解放につながっている、ということなのです。
もちろん、これら先進資本主義国でも問題は山積しています。物価高、労働者の雇用・賃金問題、高齢者の年金問題、増大するばかりの医療費・社会保険費などの問題、移民問題、安全保障問題、軍事強化の是非をめぐる問題などなど。数え上げればキリがないほど、問題は山ほどあります。「今、そこにある危機」を抱えているのが実情です。
先進資本主義国家といえども、「理想の国家」を実現しているとは、とてもいえない状況です。しかし、だからといって、社会主義国家、共産主義国家のほうが、先進資本主義国家より優(まさ)っているなどということはできません。先進資本主義国家は、少なくとも民主主義国家であり、しかも民衆の暮らしの豊かさという面では、社会主義国家、共産主義国家を凌駕(りょうが)しています。これは、疑いようのない事実でしょう。
もっとも、共産主義は、理念的には、おのずと「国家の否定」というところまでいくのでしょうから、「理想の国家」ということ自体がナンセンスということになるのかもしれませんが。
しかし、「国家の否定」「国家がなくなることこそ理想」といったところで、そのスパンは、一体、どのくらいの長さなのでしょうか? いつの時点の話なのでしょうか? 何百年後か何千年後か? 将来、そういうことは絶対起こらない、とは誰も断言できないでしょうが、少なくとも、何十年後の話ではないでしょう。その現実的な予兆すらみえていません。
「国家」の枠組みを超えるという、新しい試みのように捉えられているヨーロッパでの「EU(欧州連合)」の試みにしても、今のところ、「国家」を前提にしている話ですし、「国家」を超えている、ましてや、「国家を否定している」とは到底いえないのが現状でしょう。
「国連(国際連合)」にしても、そうです。「国家」を超えた世界的な枠組みであるどころか、実態は逆、理想にはほど遠いのが現実です
アメリカ、ロシア、中国といった「国連」の常任理事国——それら大国の利害によって操られている、大国の利害を代弁しているだけの組織にしかみえないことが、しばしばあります。
日本人は日本語を話し、アメリカ人やイギリス人は英語を話します。フランス人はフランス語を、ドイツ人はドイツ語を、そしてイタリア人はイタリア語を話します。
国家観があろうがなかろうが、これはその国々に生まれた人たちの必然であり、ある意味、「宿命」ともいえるものです。言語の問題一つとっても、「国家」の問題を、一刀両断のごとく、簡単に論じることはできません。
現実的リアリストの政治手腕
先に述べた媚中派(びちゅうは)と呼ばれる自民党内の国会議員たち、概して中国寄りの立憲民主党、中道改革連合、共産党、れいわ新選組といった左翼政党の野党たち、与党から野党に転じたのは中国共産党の指示ではないかとさえ疑われている公明党、そして左翼メディア・左翼マスコミの記者たち、またそこに登場する識者ぶったコメンテーター、専門家、学者たちなどなど——これらの組織・人たちは、人類の歴史的事実や現実をどうみているのでしょうか?
歴史から学ばず、歴史的事実や日本を取り巻く現実の脅威を、けっして正面からみようとはしない、大方が歴史的事実や現実的な脅威に対して、目を閉ざしているのでしょうか?
歴史的事実や現実を直視することなく、左翼思想のいい面ばかりをみて、どうしようもなく洗脳されてしまっているのでしょうか? 夢をみているのか、あるいは、現実はわかっていても、いまさら変えようがないのか? 無能なのか、意志薄弱なのか? いずれにせよ、このままでは、「幻想」に引きずられ、夢をみたまま、泥舟とともに深海に沈んでいく組織・人たちといわれても仕方がないでしょう。
高市早苗さんは、そんな「幻想」に惑わされる人ではありません。「現実」から、ちゃんと出発できる人です。リアリストという言い方もできるでしょう。政治家としての優れたバランス感覚を持ち、しかも、はっきり物申される胆力もお持ちです。
外交でのこの高市さんのバランス感覚は、際立っています。トランプ大統領との話し合いで示した外交手腕、イタリアのメロー二首相を始めとするヨーロッパ首脳との堂々としたやりとり、韓国の李在明(イ・ジェミョン)大統領との想定外の親密外交、そしてオーストラリアや東南アジア諸国との連携を前提とした強固な枠組みづくり。
アメリカとイランの間で起きた戦争を発端とするホルムズ海峡の封鎖——それに伴う石油危機も、他国と比べて、高市さんがいち早く、別の石油ルートを確保しました。わが国のメディア・マスコミはこのことをあまり伝えたがりませんが、その政治的手腕はもっと高く評価されて然るべきでしょう。
高市さんの胆力が、最も示されたのは、中国に対してです。台湾有事の際、台湾近辺に赴(おもむ)いたアメリカ軍が中国軍の攻撃を受けた場合、わが国の立場は「存立危機事態になりうる」と、高市さんは国会で答弁しました。この答弁は、わが国の法制上、なんら間違ってはいませんが、中国の習近平・国家主席を激怒させたと報道されています。
しかし、高市さんは、中国に謝るどころか、逆に攻勢に転じて、中国を慌(あわ)てさせました。中国に頼ることなく、サプライチェーンを幅広く構築する姿勢を明らかにし、各国に呼びかけ、具体的に行動を起こしました。
また、レアアース(希土類)の件でも、そうです。わが国の南鳥島沖深海でのレアアース掘削への取り組み。これにより、レアアースの独自調達の道を示すなど、中国に頼らないレアアース調達の多角化に取り組んでいます。頼もしい限りではありませんか。
それに、株価の上昇があります。高市政権になって以来、株価は上昇を続け、株価はついに初めて7万円を突破しました。マーケットは、高市政権を明らかに歓迎しているのです。
加えて、初めてのぞんだG7での高市さんの存在感。特に強調すべきは、アジアの代表としての存在感ということでしょう。G7の共同声明には、高市さんが周到に下準備した上で、G7の首脳に提案した構想が、しっかりと盛り込まれています。
そもそも、高市内閣は出発時点からして、方向性と覚悟をはっきり示していました。その象徴的な例が、国家のプライマリーバランス(基礎的財政収支)を「複数年度」で考える、という政策です。これまでの「単年度主義」から「複数年度主義」への、「革命的」といっていいほどの「大転換」です。日本の経済的成長の足を引っ張り続けてきた財務省の、頑(かたく)な姿勢。その姿勢を改めさせたわけです。
また、日本の経済を、低迷から成長へ方向転換させるための「成長戦略」「積極的な投資策」——それらの政策を、はっきり打ち出していることなども、これまでの政権とはまるで違います。
にもかかわらず、わが国のメディア・マスコミは、こうした高市さん政治的手腕や成果をきちんと報道しません。逆に、高市さんを首相の座から引きずり落とそうとするネガティブな報道ばかりしています。
「週刊文春」の真偽の定まらぬようなゴシップネタの記事を取り上げ、「反高市」のキャンペーンに利用していることなども、まさにそうでしょう。高市さんが総裁となった先の自民党総裁戦。2025年9月に告示され、同年10月に開票された自民党総裁戦です。
その自民党総裁戦で、高市陣営が民間会社に頼み、AIなどで他候補に対する誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)記事をつくってもらい、その誹謗中傷記事をネットで流しという、私からすれば、たわごとのような記事です。
ジャーナリストの門田隆将氏は、自身のYouTubeの動画で、その民間会社の代表たる当事者本人が、インターネット番組で「高市事務所から依頼されてはいないと述べている」と、報じています。にもかかわらず、です。語るに落ちた、とはこのことでしょう。
いかにも「スクープ」めかして、売り上げ至上主義に走る「週刊文春」も「週刊文春」ですが、それを自分で裏付けも取らず、週刊誌の報道を鵜呑(うの)みにして垂れ流している、わが国のメディア・マスコミとは何なのでしょうか? 恥ずかしくないのでしょうか?
また、国会でこれを大々的に取り上げ、高市さんにしつこく回答を求める立憲民主党の野党議員も同様です。国会議員としての資質そのものが問われます。恥ずかしくないのでしょうか? 仮にも国会議員を名乗っているのであれば、自分たちが権利として持っている国政調査権を使って、まずは、きちんと裏付けを取ってから質問に及ぶべきでしょう。
それを、自分では裏付けも取らず、週刊誌ネタだけをもとに、言いがかりに等しいような質問を高市さんにしています。国会を開くと、経費が1日3億円かかるといわれています。まさに、「税金の無駄づかい」というものです。
政権誕生からゆうに半年以上も経つのに、政権支持率が70%以上もある高市内閣が羨(うらや)ましくてしょうがないのでしょう。高市さんの支持率を下げるため、「高市憎し」「反高市」の思いだけで、こんな下劣なことをやっているわけです。
「艱難(かんなん)汝を玉にす」
しかし、高市早苗さん、国民はちゃんとみています。すでに思想的にも終わっていて、国民の支持率も悲惨なくらい低迷している立憲民主党などを始め、左翼政党の野党に耳を傾ける必要などまったくありません。そんなくだらないことに関わっている暇などありません。今すぐに取り組まなければならない政治課題は山積しています。中国の経済的・軍事的脅しも、まさにそうです。まぎれもなく、日本は「国家存亡の危機」に直面しているのです。
高市さん、どうかご自分の政治哲学や信念に基づき、しっかりと前を向き、力強く歩んでください。もちろん、高市さんとて一人の人間です。弱みや欠点もおありでしょう。時には、悩んだり、判断に困ることもあるでしょう。今後、政治的判断に窮(きゅう)する場面も出てくるかもしれません。全知全能、完全無欠な人間など、この世に存在しません。
しかし、日本の心ある国民はもとより、世界各国の心ある人たちは、あなたの一挙手一投足を期待を込めて注目しています。
日本という国の舵取り役となられたあなたには、そのことを糧(かて)にして、力強く前に進んでいただきたいと思います。日本という国の「伝統」が、あなたをしっかりと支えてくれるに違いありません。
日本を取り巻く内外の状況は、厳しさを増すばかりです。しかし、だからこそ、まさしく「艱難(かんなん)汝を玉にす」なのです。



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